(写真はナフプリオンのパラミディの城跡、旧市街、コンボロイ、ブルジ島)
旧首都ナフプリオンの旧市街とイスタンブールの空港と参議院選挙と民主主義
ギリシャの旅・最後の観光は、19世紀前半ギリシャの首都として栄えた、風光明媚なリゾート地「ナフプリオン」。
旧市街の南側の小高い丘に要塞がある。その下にヴェネツィア風の家々が細い路地に建っている。ブラブラと旧市街をショッピングしていると、「街歩き」のテレビ番組で紹介していた「コンボロイ」という数珠のようなものを売っている店を見つけた。これで手遊びしながら、「ウーゾ」やコーヒーを飲んでいるシーンを覚えていたので一つ記念に買った。手を動かすのでボケ防止になるのだそうだ。
歩いていると、はだしの子供たちが2~3人ついてくる。ガイドさんがカバンのひったくりに気を付けてと注意を促す。ギリシャには時々物もらいの子供も見受けるが、この子たちも可愛そうにそういう子供たちなのか。のんびりとした歴史ある旧市街の風景の中に悲しい現実を見た。
ギリシャの旅を終えて、アテネからイスタンブールで乗り換えて、無事成田へ着いたのは6月23日(木)。まだ、梅雨の明けない日本だった。
戻って1週間も立たぬうちに、「イスタンブール空港の銃撃テロ」が起きた。トルコ・アタチュルク空港は乗り継ぎの時、トイレがあまり清潔ではないなと感じた。そして、待つ場所も広くなく印象があまり良くない空港だと思っていたのだが、このニュースを聞いて銃撃戦が起きた場所の近くを乗り換えのために通過したと思うとヒヤっとする。
古代ギリシャの遺跡とエーゲ海クルージングの旅を終わって帰ると、参議院選挙と都知事選挙が待っていた。いずれも日本の民主主義の根幹にかかわる選択の岐路である。
特に、参議院選挙は「憲法改正」論議を隠してアベノミクス経済政策を前面に押し出す、安倍政権の戦略に民衆がごまかされ続けるかどうかの選挙だった。まんまと衆愚政治の欠陥を露呈してしまう。時の政権の戦略にはめられて、将来の禍根を残すかもしれない結果となった。もし、これで自公の主張がすべて承認されたとばかりに、平和憲法9条改正を断行するならば、まるで「だまし討ち」にあうようなもの。
アテネの民主政治はどうだったのだろうか。直接民主政治だったように理解をしているから、争点を明らかにしての論議だったのだろうと推測する。
現代日本の政治論争は何故に、正々堂々と「憲法改正」を争点にして戦わないのだろうか。ギリシャの直接民主政治の弁論と比較しても、卑怯な戦略と言われても仕方があるまい。
イギリスのEU離脱を主導したボリス・ジョンソンのように、都合が悪くなると「ここまでで責任を果たした」と逃げてしまうようなことにはなってほしくないが、都合が悪くなると、腹がいたくなって旗色の悪い政権を放り出した前例があるだけに心配だ。
きちんとした主義主張を果たしてこそ真の政治家である。そうなれば「国民のために働く政治家」として認められる。
本当の狙いを隠して、こそこそ自分の主張や過去の自民党が果たせなかった改悪をやるのではないかと疑われることこそ、すでに信頼をなくしている。憲法改正論議はあっても今の政権下ではやりたくない、という世論が多いのはそのせいだと思う。歴史の教訓を忘れ、息子や孫を二度と悲惨な戦争に追いやりたくないと切実に願うものだ。せめて都知事選挙だけでも、右傾化への流れを止めたいものだ。
旧首都ナフプリオンの旧市街とイスタンブールの空港と参議院選挙と民主主義
ギリシャの旅・最後の観光は、19世紀前半ギリシャの首都として栄えた、風光明媚なリゾート地「ナフプリオン」。
旧市街の南側の小高い丘に要塞がある。その下にヴェネツィア風の家々が細い路地に建っている。ブラブラと旧市街をショッピングしていると、「街歩き」のテレビ番組で紹介していた「コンボロイ」という数珠のようなものを売っている店を見つけた。これで手遊びしながら、「ウーゾ」やコーヒーを飲んでいるシーンを覚えていたので一つ記念に買った。手を動かすのでボケ防止になるのだそうだ。
歩いていると、はだしの子供たちが2~3人ついてくる。ガイドさんがカバンのひったくりに気を付けてと注意を促す。ギリシャには時々物もらいの子供も見受けるが、この子たちも可愛そうにそういう子供たちなのか。のんびりとした歴史ある旧市街の風景の中に悲しい現実を見た。
ギリシャの旅を終えて、アテネからイスタンブールで乗り換えて、無事成田へ着いたのは6月23日(木)。まだ、梅雨の明けない日本だった。
戻って1週間も立たぬうちに、「イスタンブール空港の銃撃テロ」が起きた。トルコ・アタチュルク空港は乗り継ぎの時、トイレがあまり清潔ではないなと感じた。そして、待つ場所も広くなく印象があまり良くない空港だと思っていたのだが、このニュースを聞いて銃撃戦が起きた場所の近くを乗り換えのために通過したと思うとヒヤっとする。
古代ギリシャの遺跡とエーゲ海クルージングの旅を終わって帰ると、参議院選挙と都知事選挙が待っていた。いずれも日本の民主主義の根幹にかかわる選択の岐路である。
特に、参議院選挙は「憲法改正」論議を隠してアベノミクス経済政策を前面に押し出す、安倍政権の戦略に民衆がごまかされ続けるかどうかの選挙だった。まんまと衆愚政治の欠陥を露呈してしまう。時の政権の戦略にはめられて、将来の禍根を残すかもしれない結果となった。もし、これで自公の主張がすべて承認されたとばかりに、平和憲法9条改正を断行するならば、まるで「だまし討ち」にあうようなもの。
アテネの民主政治はどうだったのだろうか。直接民主政治だったように理解をしているから、争点を明らかにしての論議だったのだろうと推測する。
現代日本の政治論争は何故に、正々堂々と「憲法改正」を争点にして戦わないのだろうか。ギリシャの直接民主政治の弁論と比較しても、卑怯な戦略と言われても仕方があるまい。
イギリスのEU離脱を主導したボリス・ジョンソンのように、都合が悪くなると「ここまでで責任を果たした」と逃げてしまうようなことにはなってほしくないが、都合が悪くなると、腹がいたくなって旗色の悪い政権を放り出した前例があるだけに心配だ。
きちんとした主義主張を果たしてこそ真の政治家である。そうなれば「国民のために働く政治家」として認められる。
本当の狙いを隠して、こそこそ自分の主張や過去の自民党が果たせなかった改悪をやるのではないかと疑われることこそ、すでに信頼をなくしている。憲法改正論議はあっても今の政権下ではやりたくない、という世論が多いのはそのせいだと思う。歴史の教訓を忘れ、息子や孫を二度と悲惨な戦争に追いやりたくないと切実に願うものだ。せめて都知事選挙だけでも、右傾化への流れを止めたいものだ。