ジュピターのブログ~令和徒然紀行~ 

旅(海外・国内)の写真と紀行文、日常のできごととエッセイと風景や花や自然の写真と書評

2020年12月

 毎年夏と冬に、昭和42年に入社した同期12名のうち、集まれるメンバー7名で同期会を行っていた。それがコロナのせいで今年は集まれず、年の瀬に急遽リモートで行うことにしてズームで呼びかけたのだが、最初はなかなかつながらず、参加したのは4名だけ。

 76歳から78歳のメンバーだけに、健康やパソコン不慣れのせいで少人数になってしまった。しかし、ズームでの会話は規模としては4人ぐらいがちょうどよい。順番に一人が話して、相槌も打てるし、質問も混線せずスムーズに行えた。メールや電話ではなくて4人同時に顔を見ながら話ができるという臨場感があるし、ある程度元気かどうかが顔色や話し方でわかる。書斎でパソコンを開いている例が多く、バックには今まで蓄積した書物が見える。光線が不十分で画面が暗いものもあったが・・。

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 話す話題は、コロナ禍の中、毎日何をしているのだということが多いが、家族の変化もある。この年代になると家族が増えてうれしい話は孫の話題、減るという話題が最も悲しい。

 今後のリモート同期会は2~3か月に1度やることを決めた、価値あるリモート同期会だった。浅田次郎の「おもかげ」ではないが、人生の後半にさしかかっている私たち後期高齢者が語るこれからの話題は、きっと研修時代のこと、単身赴任のこと、独身時代や彼女との出会い、など楽しいことばかりでなく苦しかった時代の思い出が、走馬灯のように語られていくことだろう。

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 また、「今度生まれたら」(内館牧子)を読んでいると高齢者にはドキッとするものがあった。

 70歳になった佐川夏江は、夫の寝顔を見ながらつぶやいた。「今度生まれたら、この人とは結婚しない」。夫はエリートサラリーマンだったが、退職後は「蟻んこクラブ」という歩く会で楽しく余生を過ごしている。2人の息子は独立して、別々の道を歩んでいる。でも実は娘がほしかった。自分の人生を振り返ると節目々々で下してきた選択は本当にこれでよかったのか。進学は、仕事は、それぞれ別の道があったのではないか。やり直しのきかない年齢になって、夏江はそれでもやりたいことを始めようとあがく。2大ベストセラー『終わった人』『すぐ死ぬんだから』に続く小説!と頭から刺激的な紹介。

 男の同期会には、「今度生まれたら」という話題はでない。女性の夫を見る目が不満だらけなのはよくわかる。女性の目線だが、面白い記述が多いので拾い書きしてみる。

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エリート意識だけは強い。退職してからは彼に一目置く人がいなくなった。そのためか、私が持ち上げてやらないと不機嫌になる。(自分もそうだったかと反省)。

二人の息子たちは優秀で、結婚、孫の誕生など、夫と結婚すればこそ得た幸せだった。まさしくフルコースで、私はとても満腹感を覚えている。だが、満足感はない。70の今。

(果たして妻はこのような満腹感があるだろうか、それとも満足感を感じていないのだろうか、私は満足だが)

姉はブス。高校卒同士で結婚。今も仲良く金曜日には居酒屋で飲む。今度生まれても今の旦那と結婚するという。私たち夫婦よりあらゆる点で格下なのに、嫉妬もいじめもない。

(あまり過大な期待を相手に求めず、今がよい、これで十分と思うことが大事なのか)

昔話している時だけは、自分の一番良かった時代に戻れる。仕事の快感は自分が必要とされていること。自分がそうだとわかっている現役時代は、愚痴ったりぼやいたりも娯楽の一種。
(今の同期会は現役時代の余韻を感じながら話すこともあるが、定年から15年もたつとおぼろ気にしか思い出さない)

ボクサーが相手のパンチを受けないように避けていると、自分にパンチは当たらないが自分のパンチも相手に当たらない。パンチを当てて勝つためには前に出なければならない。

(現役時代に、果たして果敢にパンチを繰り出していたかは疑問だ)

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「白鳥になる夢も見し昔かな」「この人と結婚していなければ別の人生があったのではないか」人様々だが、若いころ見た夢を70になってからでは難しいと筆者は考える。

タイガーウッズは薬物と女で堕落した後、以前にはなかった冷静さと攻め方の知識をもって復活した。「人は蘇ることができる。ただし、かっての姿を追うのではなく、変身して」

あとがきに書いてあった、この二つの言葉は意味が深い。男と女の視点は違うが・・。

 定年後ゼロから新しいことを始めることは難しい。潜在的に持っている能力を生かす、それを世間への恩返しに使えればなお良い、ということは納得だ。

(写真は イギリス・ブリストル付近の渓谷つり橋とイングリッシュガーデン。また、本はマダムの間の回し読みを速読したもの)

ブレイディみかこの「ワイルドサイドをほっつき歩け~ハマータウンのおっさんたち~」は、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』で青竹のようにフレッシュな少年たちについて書きながら、そのまったく同じ時期に、人生の苦汁をたっぷり吸い過ぎてメンマのようになったおっさんたちについて書く作業は、複眼的に英国について考える機会になった。二冊の本は同じコインの両面である、と「あとがき」にあった。

また、高橋源一郎は「世界でいちばん愛すべきおっさんたち(&おばさんたち)が、ここにいる。あんたら、最高すぎるんだけど……」、ヤマザキマリは「イギリスの市井の人の魅力を引き立てるブレイディさんの愛と観察眼と筆力に心を丸ごと持っていかれた。一編一編が人情に満ちた極上のドラマ!」、などと感想を書いている。

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 日常をゆるがす大問題を前に、果敢に右往左往するおっさん(おばさん)たちの人生を、軽いタッチで描く。中高年たちの恋と離婚、失業と抵抗。EU離脱の是非を問う投票で離脱票を入れたばっかりに、残留派の妻と息子に叱られ、喧嘩が絶えないので仲直りしようと漢字で「平和」とタトゥーを入れたつもりが、「中和」と彫られていたおっさんの話……

本を読むことを生きがいにしていたのに、緊縮財政で図書館が子ども遊戯室の一角に縮小され、それでも諦めずに幼児たちに囲まれながら本を読むうち、いつしか母子たちに信頼されていくこわもてのおっさんの話……などなど、笑って泣ける21篇。「みんなみんな生きているんだ、友だちなんだ」!と軽快に書き綴る。

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日本と異なり、社会/政治への関心は高い。特に、EU離脱、ブレグジットにまつわる話は、興味深い。元々、福祉国家と言われ、医療費を無料とするNHS(国民保健サービス)に守られてきた。国庫の窮乏により緊縮財政政策で、NHSは維持されるも診療が受けにくい(予約が必要、予約のために並ばなければならない、打診電話に出られないと予約が取れない)仕組みに変わっていく。EU離脱すれば、EUへの供託金がNHS資金に回せるというデマに騙されて賛成投票した人が多い、などイギリスの現状を楽しく解説してくれる。

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 私たちのイギリスの友人リタがいつもグチをこぼしていたことを思い出す。「移民に私たちの税金を使われている。移民に健康保険をただ同然に悪用されている。周りに黒人やイスラム教の人々が多くなって秩序が壊れた。」など、今の日本でも少しずつ問題になりかけていることが、まさにイギリスでは先行して見えてきているのだ。アメリカのトランプ党のような白人至上主義やミーファーストが、ヨーロッパやイギリスでも既に起きている。
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(写真はイギリス南部、ダードルドアの奇岩、ウェイマスの海岸)

浅田次郎の小説「おもかげ」は丸ノ内線「中野坂上」が舞台になっていること、昭和42年の話であることなど、私の年代に近い設定が親しみを覚えさせた。

商社マンとして定年を迎えた竹脇正一は、送別会の帰りに地下鉄の車内で倒れ、集中治療室に運びこまれた。今や社長となった同期の嘆き、妻や娘婿の心配、幼なじみらの思いをよそに、竹脇の意識は戻らない。一方で、竹脇本人はベッドに横たわる自分の体を横目に、奇妙な体験を重ねていた。「同じ教室に、同じアルバイトの中に、同じ職場に、同じ地下鉄で通勤していた人の中に、彼はいたのだと思う」(浅田次郎)と書評にあった。

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物語の主人公は、商社マンとして定年まで働き続けた竹脇正一。彼は定年を迎えた日の送別会の帰り道に地下鉄で倒れ、病院に運ばれた。容態は厳しく、助かる見込みはない。そんな彼に多くの見舞客が訪れ、彼との思い出を語っていく。

会社の同僚で現在は社長の堀田憲雄は、社宅住まいだった頃の彼との思い出を、幼馴染の永山徹は施設暮らしだった頃の思い出を、義理の息子である大野武志は、グレて少年院に入った自分を何も言わずに受け入れてくれた竹脇との思い出を…というように、多くの人たちが竹脇との思い出を語りはじめる。

そして一方竹脇は、運び込まれた病院の集中治療室のベッドで幻を見る。はじめはマダム・ネージュと名乗る貴婦人とレストランへデートする幻。次に入江静と呼ばれる白いサンドレスの女性と海辺を歩く。それから、となりのベッドで寝ているおじいさんの榊原勝男と銭湯へ。さらに勝男の初恋の女性峰子と地下鉄で出会い、今度は正一自身の初めての女性古賀文月と再会する。それぞれとの会話を通して過去を思い出していく。テーマの「忘れなければ生きていけない」という記憶の中へ。

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人生を終える時は、このように過去の思い出が走馬灯のように次から次に現れるものだろうか。ドラマの中ではよく出てくるシーンではある。

なかった過去にしなければまともに生きてこられなかったという正一の記憶、生きるために忘れなくてはいけなかった記憶を優しく、ときには厳しく掘り起こしてくれる幻の人々。
サラリーマンの竹脇が、幼少期から現在までを振り返る物語が楽しめる小説である。あたかも私自身が主人公になり代わって過去を振り返っているような感覚をも味合わせてくれた。

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 この『財政赤字の神話』は、アメリカの経済学者でMMT(現代貨幣理論)の第一人者、民主党のチーフエコノミストやバーニー・サンダース上院議員の政策顧問を務めたステファニー・ケルトンによるMMTの理屈について書かれた一冊である。

「現代貨幣理論(MMT)」という言葉は最近急に話題になっている。私のような素人が短絡的に理解すると、国民が必要な支出ならスーパーインフレさへ起こさなければ、1000兆円になろうとする赤字国債も許せるという理論なのかと興味がわいた。

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 政府予算を家計に準(なぞら)えるメディアは日本でも数多く、この際に収入を上回る支出、つまり財政赤字は当然のように危険視される。だが本書は、自ら通貨を発行する政府の財政を一般家庭の家計と同一視することは誤りと断じる。財政赤字はむしろ国民の富や貯蓄を増やすものであり、これを過度に抑制しては国民の経済と生活が脅かされるという。

 東京新聞の書評にあったが、端的に言えば、MMTは財政規律や「財政健全化」に意義はないと主張している。インフレに気を付ける必要はあるが、政府は財政赤字をあまり気にせずに施策を打てる。これが正しければ、大規模対策が求められる一方で税収が急落したコロナ禍において、どの国の政権にとってもMMTは福音となるはずだ。

 一方、このようなMMTの議論は一部で強い拒絶反応を招いてきた。財政規律は単に収支の均衡を意味するだけでなく、政治による財政、経済政策が野放図にならないよう牽制する縛りである。この縛りを無くせば、政治家は人気取りのために予算を増やし、減税するのは明らかであり、今回も100兆を超える予算の大半を国債発行に頼ろうとしている。

  こうした反MMTの立場からの批判や不安に対し、MMTの下での政策の指針と具体策を示してみせる。MMTは経済強者ではなく広く国民のために在るべきという信念がある。

 「アメリカはこれまでに六度の深刻な不況を経験したが、いずれも長期にわたって財政均衡が続いた後に起きている」(フレデリック・セイアー)

「防衛費の拡大、銀行の救済、富裕層への減税が議論されるときには、たとえそれが財政赤字を大幅に増やすものであっても問題になったことは一度もない」

「日本のような変動相場制の国は、固定相場制の国なら崩壊するほどの財政赤字を出していても、容易にゼロ金利を維持できる」「財政赤字の上限はインフレのみだ」など。

 このような記述は、財政赤字への異常なまでの恐怖感を和らげてくれる

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 財政赤字の神話を打破するロジックは単純明快である。政府は通貨の発行者だから、通貨の利用者である民間企業や一般家庭や地方自治体とは全く異なり破綻リスクが無いと簡潔に説明する。政府は財政破綻『しない』のでは無く、財政破綻『できない』のだ。

 政府が通貨の発行者としてその財源は尽きる事がないのだが、重要な前提条件がある。それは、変動為替制と自国通貨建ての国債を発行するという二つの条件。この二つを持ち合わせた国をMMTは、通貨主権国家と呼んでいるが、実は世界中で通貨主権国家は多くない。米国、日本、英国、カナダ、オーストラリアなどで、ユーロに加盟するEU諸国は違う。ギリシャが財政破綻したのはユーロ加盟国だから。通貨主権という国家大権の重要性が、今は見落とされている!というのだ。真実ならこれはある意味では「目からうろこ」だ。

  政府が通貨の発行者なら、幾らでも通貨を発行して無税国家にすれば良いじゃ無いか!とか宣う自称経済評論家も出てくるかと思うが、ケルトンはそれを否定する。今までは財政赤字の大小を目安に財政規律を論じてきたが、今後はインフレ率(2%程度)を目安に必要な財政政策を行うべきという主張だ。財源に限度はないが、実物資源には制限があるという常識的な判断を示すのがMMTである。この制限は素人には少しわかりにくい。今の日銀はこの理論を是としているのだろうか。

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 MMTの難しい説明を全て省き、通貨主権を持つ政府は、通貨の発行者としての財政破綻をせず財源は尽きる事が無い。財政規律はインフレ率であり、実物経済の制限を考慮して財政出動すれば良い、など赤字神話に怯える人々に単純明快に赤字恐怖症を解く。その主張はなるほどという思いとともに、今までの赤字国債への考え方が払拭されたわけではない。経済学というのは結果が出てようやくそうだったのかと思うことが多い人文科学ではある。

 1000兆円の累積国債発行で、その金は一体どこへ行ったのだろうか。国の経済規模が大きくなって国民経済を潤していると考えていいのだろうか。明快な答えが欲しい。

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晩秋から初冬の雰囲気は紅葉と黄葉の木々が競演している姿が素敵だ。

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近くのお寺の境内に見る、燃えるような紅葉。

砧公園の紅葉と黄葉。

そして代々木公園のイチョウ並木。

四季の移ろいを俳句が歌い上げてくれる。

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大紅葉 燃え上らんと しつゝあり   高浜虚子

日が差して 境内欅  黄葉いろ    高澤良一

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