ジュピターのブログ~令和徒然紀行~ 

旅(海外・国内)の写真と紀行文、日常のできごととエッセイと風景や花や自然の写真と書評

2020年07月

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朝日夕刊(725日)に「灘校生 本気のオンライン文化祭」という記事が載っていたので早速、今月末まで閲覧できるという特設サイト(https://fest.nada-sc.jp/2020/)を見た。

後輩たちの工夫した動画の数々がクラブ活動発表会さながら載っていた。

私も属していたことのある「グリークラブ」では校歌が歌われていた。あのステージで(確か校舎は建て直されていたと思うが)歌ったモノクロの写真がアルバムに残っているので、16歳ごろとすると60年前、懐かしい思いだ。

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マスコミ受けを狙った企画「世界一受けたい灘校生の授業」では「ゴールドラッシュ」での砂金掘りがおもしろい。毎年の文化祭で砂金掘りはやっているらしい。

「Ms.コンテスト」も今どきの若者の考える企画だが、私には考えすらできない。

「東北企画」は福島を訪れた経験を筑波大付属駒場校生との対談で、被災地訪問と取材のまじめな取り組みには、さすがと思わせるものがあった。灘校生と筑駒生との対談というのも興味深い。

毎年5月に行われる文化祭が、コロナのせいで実施ができなくて、オンラインで開催したという。この臨機応変さと積極性には拍手を送りたい。東大合格者数で名を残すだけではなく、実行力の面でも優れたものを持っているのだという証を示す文化祭になっている。「がり勉」だけではない現在の後輩に拍手を送りたい。私はただの「がり勉」だけで何も得るものがなかった学生時代だったが。

今月末まで閲覧可能だそうです。

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それにしても、アベノマスク8000万枚追加発送、どこか頭がおかしい人たちが内閣にいるようです。母校の卒業生にもそういう浅はかな閣僚がいるらしく、ここでは名を貶めていて残念です。このお金をコロナ対策に貢献しで赤字の病院や医療従事者に回すべきでしょう。誰しもがそう思うことなのに!

 

読んでいて、無償の行為に心温まる。スーパーボランティア・オバタさんは、対価や物品、飲食など見返りを一切求めない。常に「してやる」ではなく「させていただく」の気持ちでボランティアに臨む。

65歳で魚屋を閉めるまで、下駄の製造販売の父のもと、7人兄弟姉妹の三男に生まれ、小学5年で農家に奉公に出る。その後、別府・下関・神戸と10年の魚屋修行、東京オリンピックの頃にはとび職で稼ぎその資金で大分に魚屋を開き、結婚して奥さんとともに評判の良い店を続け、50年働いて魚屋を閉め、第二の人生・ボランティアに邁進。それまでお世話になった世間様に少しでもお返しができればという気持ちだったそうだ。なんという清らかな気持ちの持ち主であろうか。

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山口県周防大島で行方不明となっていた2歳児を発見したことで、一躍有名になったが、東日本大震災の被災地をはじめ各地でボランティアに従事している。

最初のボランティアは由布岳の登山道整備、そして東日本大震災の南三陸町では、「思い出探し隊」隊長として土に埋まった物の中から写真や思い出の物をきれいにして被災者に喜ばれた。大分から軽トラックで3日かけて南三陸町まで行くエネルギーは、私には想像することができない。

熊本地震の時は益城町でボランティアをしたそうだが、私の知り合いが歯医者さんをしている町だ。私の知人には被害はなかったのだが、益城町でボランティアと聞いて何か親しみを感じる。

真っ赤なつなぎに「絆」「朝は必ず来る」と書いたヘルメット姿のオバタさんは、どこでも人気があり、信頼されているそうだ。はっきりした声で、オバタさんが来る被災地は明るくなるそうだ。

差し入れの夕食を軽トラックで食べ、寝袋で眠るオバタ流、炎天下で作業するオバタさんは決して「暑い」とは言わず「暖かい」と言うそうだ。常に被災者の気持ちを思いやる言動には頭が下がる。体が丈夫なのだろうが、1時間も力仕事をするとフウフウ言ってへたばりそうな私など、オバタさんの心意気には驚くとともに想像できない。人には得手不得手があるとは言うが、そんなことでは説明できないオバタさんの百人力のエネルギーと生活の智恵には心から拍手を送りたい。

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健康の秘訣はとにかく体にいいものを食べる。美味しいものは食べないそうだ。どうも粗食がよさそうだ。虫が食っている野菜が安全な証ともいう。おかずは梅干しがあればパックご飯で充分ともいう。毎朝自宅周辺をジョギング、ラジオ深夜便で懐かしのメロディーを楽しむ。お気に入りの言葉は書き留める。記憶よりも記録だそうだ。好きな言葉に「汗かく、恥かく、文字を書く」「医は食にあり、食は農にあり、農は自然に学ぶべし」「今日は二度とこないが、明日は必ず朝が来る」など。私も扇谷正造の「君よ 朝の来ない夜はない」を座右の銘(私の本棚は左にあるが)にしているが、同感だ。中学校しか出ていないオバタさんの博学は体で覚えたものと言うが「凄い」の一言。危機を事前に回避する性格で、常に先を見通すようにしているそうだ。今のコロナ蔓延危機の時代にはこういう性格こそが大事であろう。

そして「三配り」つまり「目配り、気配り、心配り」を大事にしているそうだ。

年金55千円ですべてをまかなうという。恐るべき倹約家だ。南三陸へ通ったガソリン代が片道2万円かかるが、年金からすべて出したという。そこまでしなくてもとも思うが、貯金無し、線香花火のように小さくても長持ちする生き方をしたい、など涙が出るような心意気だ。儲けようとか、出世しようとか、有名になろうとかの欲がない人だからこそ、どこに行っても人が集まってくるのだろう。

読めば読むほど、赤いつなぎと鉢巻をして笑うスーパーボランティア・オバタさんの屈託のない笑顔が、私の前に「こういう生き方できるか?」と言っているかのように迫ってくる。

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「父の背中」(子が綴る北陸ゆかりの志士たち)には北陸ゆかりの文士、画家、実業家たち12氏の子息が父親の姿を綴っている。井上靖さんの文章を綴ったご長男・修一氏から、この本をいただいた。

本のトップに「自伝の空白」という題で12人の最初に、父についての文章が載っている。父・靖は四高(旧制金沢大学予科)を卒業する前後から芥川賞を取る頃までの二十年間が空白だったという。「当時時代の父の生活はどこか落ち着きがなかった。自分の現状に満足できないで夢を求め、焦ってもがいていたのかもしれない。しかし、この時代を描いた父の小説は一番生き生きしていた」と書かれている。

続いて、「当時の父は私の知っている父とは少し違っていたのではないか」

また、「努力家で、剣豪然とした不埒なエネルギーがあった」

そして、「父の裸は男臭かった。上腕には力こぶ、体は水をはじいていた。逞しく、私は誇らしく感じた」「ツルハシかねと声をかけられた」((土木作業員かと聞かれた意味だそうだ)と綴っている。

「大学はいい所へ行きなさい。だけど授業はでなくていい。本を読め。面白いのは自己表現だから、ものを書け」とも言われたそうだ。書物からしか想像できない文豪の、親子の言葉が見えて興味深い。

ご子息は父の残した大邸宅跡地の一角に住み、今でも書斎でドイツ文学の書物を読んでおられる。時にお話をお伺いすると、ツルハシの話や伊豆のお話が出てくるし、留学先のドイツの話、学長を務められた大学のお話もおもしろい。玄関先靖旧居跡の看板横で近所の人や子供たちと話す姿は、今は好々爺然としている。

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水上勉さんの息子、窪島誠一郎氏の話はドラマチックだ。すでにご存じの人が多いと思うが、私は初めて事情を知った。誠一郎氏は戦時中水上勉夫婦の長男として生まれ、二歳半の時混乱の中で窪島茂さんの子供として育てられたそうだ。誠一郎氏が三十五歳になるまでそれを知らず、自分の出生に疑問を持ち実親探しの旅に出て父子の邂逅が実現し、「瞼の父は水上勉氏」とマスコミで騒がれたという。

誠一郎氏は、それまで生きてきた35年間の自分とそれからの自分とが、心の内部で激しく火花を散らしたという。

育ての親・窪島夫婦にとっても、二歳半の時水上家から引き取ったもらい子でも、手塩にかけた我が子が、「有名作家の子」に変身してしまったことへのショックは並大抵ではなかったようだ。

「ほう、わしはツイとる男やな、こりゃ儲けもんや」と父の山荘で初めて対面したとき、水上勉は言ったそうだ。「わしは誠ちゃんにどれだけ恨まれてもしようのない父親や」とも言ったという。

「あの無為で理不尽な戦争という時代が私達二組の父子にあたえた、逃げることのできない〔もう一つの戦後〕だったのではないか」と誠一郎氏は思っている。そして「義父母を失い、父水上勉を見送って、初めてその人たちの子であった幸福をかみしめている」と書いている。

12人の方々の文章からお二人のものだけを取り出してみたが、文豪、画家など有名人にそれぞれの奥深い人生があることが、息子や娘などから語られ、作品とは違う趣があった。(高見順、深田久弥、棟方志功、室生犀星なども載っている)

後期高齢者となった今、私自身の父親のことを思い出すことが多いが、この本のように波乱万丈ではない。それでも、平凡でまじめで一生懸命生き抜いた人生の中に、長寿のDNAを子供たちに残してくれたことに感謝するとともに、考え方や動作、ものの言い方や声が、なんとなく似てきたように思いだすこの頃ではある。

 

イギリスの友人・リタから愉快な笑い話が届いた。そういえば、プロ野球選手がコロナに感染したとき、「全く食べ物の匂いがしなくなりました」と言っていたことを思い出す。

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At 7p.m. open the whisky bottle and smell it.

If you can smell, you are not affected..

Then pour it in a glass….Taste it.

If you can feel the taste, you are definitely not affected.

Dr Johnny Walker

 

日本のブログ友からの笑い話は

コロナとかけて「君」と解く

心は 「君」の漢字を分解すると「コ ロ ナ」となる

日本のかけ言葉を英語に訳すのは難しい。

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コロナに関するスピーチではメルケル首相の心打つスピーチが最も知られているが、エリザベス女王のスピーチも94年の長い人生を思い出させるスピーチだ。

We may have more still to endure, better days will return:

we will be with our friends again;

We will be with our families again;

we will meet again,

このフレーズは、映画の中で水爆の爆発に合わせて流れるVera Lynnの、映画史上名高いブラックユーモア的歌詞を思わせる、と言われている。

We’ll meet again, don’t know where, don’t know when

But I know we’ll meet again some sunny day

Keep smiling through, just like you always do

Till the blue skies drive the dark clouds far away

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日本の政治家の「国を壊す言葉」(文芸春秋8月号柳田邦夫)とは雲泥の差だ。

国会で多用する「謙虚に」「真摯に」「専門家の皆さん方の意見を聞き総合的に判断」などや「PCR検査を二万件に倍増の詭弁」「戦後最大規模の補正予算と胸を張る空約束」「GoToTravelはゴーツートラブル」「アベノマスクは役立たず」「休業補償や給付金は信じられない遅さ」など危機管理のお粗末さは目に余る。さらには、今裁判になっている「森友問題」や「加計問題」、「河井議員収賄1億5千万円問題」には「ほおかぶり」とは、ジョークにもならない。IMG_8778

今年の夏はコロナ禍で自粛生活しながら、昨年のスイスへの旅を夢のように思いだす。

ちょうど78日からスイス周遊の旅だったから、去年の今頃はスイスの高原で清らかな山の空気をいっぱいに吸い込んで、黄色のタマキンバイをはじめ高原の草花が色とりどりに咲いている絶景を楽しんでいた。

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スイスの旅でご一緒した旅友Yさんから、懐かしいメールが届いた。夫婦4人でリュッフェルアルプの駅から、可愛い赤色のトロッコ電車に乗って、すぐそばにあるレストラン「アルフィータ」に行き、雪をかぶったマッターホルンを眺めながら「クリスピーポルシェッタ」というカリカリ豚肉のランチを楽しんだことを思いだす。

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あれはちょうど1年前。こんなコロナが流行ってしまうことなど予想すらしなかった。今を大事にしなければならないことを痛感する。
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