ジュピターのブログ~令和徒然紀行~ 

旅(海外・国内)の写真と紀行文、日常のできごととエッセイと風景や花や自然の写真と書評

2019年12月

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 愛読書のジェフリー・アーチャーの作品は、いずれも私を引き付けて一気に読破するのが惜しいくらいの面白さを提供してくれる。今回も次はどうなるかと章を終えるたびに次の章をめくりたくなる。

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労働組合の委員長をしていた父親がKGBに殺害され、母親と二人でロシアを脱出した後の運命が、イギリスへ向かった場合の主人公サーシャとアメリカへ向かった場合の主人公アレックスとで異なる人生として描かれ、パラレルに展開していく。

いつもながら波乱万丈のストーリーで、二人の人生がコインの裏表という形で進み、交互に語られて錯綜するので時々混乱しそうだがおもしろい。

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 イギリスに渡ったサーシャのストーリーでは、妻となったチャーリーがコートールド美術研究所の研究員だという設定になっていて、今年見たばかりの「コートールド展」を連想させて親しみを感じた。

アメリカに渡ったアレックスのストーリーでは、妻となったアンナがニューヨークの画廊に勤めているという設定も、作者の好みのせいだろうか。

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 アメリカに渡ったアレックスは銀行家となる。一方イギリスに渡ったサーシャは労働党に入党し政治家の道を歩み始める。アーチャーらしく、パラレルに進行して目まぐるしく錯綜するサクセスストーリーは、最後まで飽きさせない大河ドラマとなっている。

ケインとアベルからクリフトン年代記と続く大河小説同様、今回の小説も映画化してほしいものだが、あまりにも複雑で難しそうだ

最期には、サーシャもアレックスも、二人の脱出に手を貸した叔父の葬儀に出るためにロシアへ戻るのだが、途中の飛行機事故によって、結局アレクサンドルと言う名前で一人に収れんされて、プーチンとの対決というところで終わる。あとは現実のロシアの政治を見て、とばかりに含みを残して。

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民主主義の力を信じる主人公の、ロシアからの移民でありながら選挙で選ばれた労働党議員サーシャが述べる言葉「すべての議論を是々非々で判断し、論破し、時には潔く負けを認めて聞く耳を持ちたい」を、日本にあてはめて、桜の会で議論もせず、都合の悪い資料はシュレッダーにかけて証拠隠滅をはかり、逃げまくる長期政権の長に読ませ、聞かせたい。

最近の世界の政治の風潮は、トランプを初めとし、ジョンソン、安倍と同じ流れで、民主主義とはかけ離れた、「ミーファースト」や「都合の悪いことは無視」という流れにあるのが不気味だ。

エンタテインメント小説を楽しみながらも気になる一年の終わりを迎える。
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(写真は、姉の家の庭で遊ぶリス、散歩中に見つけたカマキリとカメ、鷹かと思うほどのスイス・グランドジョラスのアルペンキバシガラス)

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これは2016年に訪れた「渋谷 青の洞窟」イルミネーションです。
今朝のニュース番組で、「メリークリスマス!」というような笑顔の若者たちがクリスマスイブを楽しむ「青の洞窟」を見て、あれはもう3年前かと思い出した。
あの時はまだそれほど混雑はしていなかったが、昨夜の「青の洞窟」は大変な賑わいで、空き缶とタバコのポイ捨てを取材していた。照明も青だけでなく赤も混じっていたように思う。
各地でこのようなイルミネーションイベントが行われているが、ここ渋谷のそれは私にも手軽で行きやすい所だ。
ただ、17時からということもあり、昼間渋谷に行ったついでということがなかなかできないのが残念だ。それでもどのように変わったかをみてみたいものだ。それに、今年の冬の気候は寒暖の差が激しくて、後期高齢者には要注意でもある。

次の写真が今年の「青の洞窟」イルミネーションです。ベルがあるなどかなり工夫がしてありました。
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21日(土)朝のラジオ深夜便「明日へのことば」では、東洋文化研究者アレックス・カーの「観光公害を乗り切る」を、朝早いにもかかわらず、次第に覚醒させられながら聞き入った。

アレックス・カーは、12歳の時に米軍に所属していた父の赴任で横浜に住んだことがあるそうだ。米エール大日本学部を卒業した後、74年から英オックスフォード大学で中国学を専攻。徳島県祖谷で茅葺き屋根の農家を取得して以来、古民家を活用した滞在型観光事業を営んでいる。現在は京都に住んで、『観光亡国論』などを刊行してさまざまな提言をしている。

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特に、観光公害になるかならないかは、受け入れの側の「観光マネジメント」にあるのだという考え方は、その通りだと思う。

銀閣寺総門を折れて最初に目に入るのは、参道を埋め尽くした観光客の人混みだという。生垣の内側に人がひしめく様子を見ると、外の俗世間のほうが、まだ落ち着いているぐらいに思えてしまうそうだ。

名所に人が押し寄せるという「オーバーキャパシティー」の問題は、世界中の観光地が抱える一大問題であるが、銀閣寺のように京都観光も例外ではなく、各所にそれが生じているという。

 

右肩上がりで増加する訪日外国人観光客。2018年度はついに3000万人を超えたそうだが、京都をはじめとする観光地へ観光客が殺到した結果、トラブルが続発しているという。その対策を提言している。

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海外でも、観光客が殺到する名所では、予約制や高い入場料をとっているところも多い。観光公害で迷惑している京都の住民の立場になって考えれば、京都の訪れたい名所旧跡には、高い入場料を設定してもいい。市民の足であるバスが混雑していることには、大きなスーツケースを持ってバスに乗る時はスーツケース持ち込み料があってもいい。京都関所手形や滞在税すらあってもいいのではなかろうか。もちろんそれによって観光客が激減すれば考え直さねばならないが、このまま増加する観光客の波に手をこまねいていて観光公害が増えてしまっては住民のためにならない。

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観光市街地へのアクセスや駐車場、景観規制などのルール作りに金を使う方がいいとも提言している。そして数だけの観光促進ではなく、市民と共存できる観光マネジメントに予算を使うべしだという。

駐車場は市街地の外に作って観光バスはそこに停めてもらい、観光客にはできるだけ歩いてもらうという動線をつくるのだそうだ。そうすれば観光バスで来てサッと見てサッと去ることなく、歩きながら観光し、カフェに立ち寄ったり、土産物を買ったりと、お金を落としてもらえるというのだ。

 

神社はほとんど無料で参拝できる。日本円でのお賽銭を入れてくれればいいのだが、伏見稲荷大社などは外国コインの選別に困っているそうだ。

中国人のマナーが最低だという話をよく聞くが、観光客に日本のマナーを教えれば従ってくれることも多いという。観光バスを降りるとき、ちょっとでもガイドが注意喚起すればずいぶん違うという。

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確かに、私たち夫婦も最初は旅行社の企画に沿って盛り沢山なツアーを選んでいたが、最近は滞在型観光を好むようになった。できるだけゆったりとした旅こそが、訪れた土地の人々にふれることができるし、文化にもふれることができる。年のせいかもしれないが、急ぐ旅は味わいが少なく感じるようになった。

(写真は2015年京都紅葉の旅から)

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朝日文芸欄に載っていたピーター・マクミランの和歌の翻訳にハッとした。

藤原道長の和歌「この世をば 我が世とぞ思ふ望月の 欠けたることもなしと思えば」の英訳

Just as there isnot the slightest dent in the full moon,

So this wholeworld is gloriously mine!

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日本語で読んで和歌の意味を理解しようと思う時、結構時間がかかるのに、英語で読むと早く理解ができるのは何故だろうか。訳者のピーター・マクミランが和歌の意味をよく理解して、意訳しているからこそだろうと思った

更に、「月」を「盃」の暗喩とみる山本淳子氏の新解釈をも加えて解説していた。

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私たちが学生の頃、苦労して和歌の解釈を試みていたにもかかわらず、アイルランドで育った後、イギリス・アメリカを経て来日し、百人一首を英訳するまでになったピーター・マクミランの研究の深さに心を打たれた。しかも、旧暦10月16日にあたる11月12日の 満月や、京都の道長の邸まで記述がおよび、日本人でありながらそのような知識のなさを嘆く自分でもあった。

ただ、シェークスピアの住んでいた場所を訪ね、ストラットフォード・アポン・エイボンでシェークスピア劇を楽しむ日本人旅行者や研究家もたくさんいるのだからと、一人納得するもう一つの自分もある。

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 翻訳文学が盛んな国は豊かな国であるという意見も宜(むべ)なるかな!

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(写真は世田谷「実相院」の竹林と紅葉)

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「日本語はあいまいだ」から始まる、ロバート・キャンベルの英訳詞集の道程を解説する本を興味深く読んだ。

この詞の文章の主語は何か、この情景は過去か、現在か、それとも未来なのか。それを決めなければ英訳できない、というキャンベルの問いに、陽水はどちらでもいい、聞き手が判断すればいい、という。

「歌える英訳」なのか、「読むための英訳詞」なのか、ここにも悩んだという。

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私たち合唱団が歌っている「少年時代」と「ワインレッドの心」の英訳に惹きつけられて読み進めた。

特に、「夏が過ぎ 風アザミ」という歌詞の「風アザミ」について、キャンベルは「アザミと言うのは秋の季語ではなくて、春の季語では」という。

陽水は「僕らの仕事はポップスや歌謡曲などを提供するが、真実を提出することをモットーにしていない」と答える。

私たちも、なんとなく歌っていたが、鬼アザミはあるから風アザミもあるだろうとぐらいにしか思っていなかったが、風アザミなんてないわけだ。

キャンベルは次のように英訳している。

(夏が過ぎ 風アザミ 誰の憧れに彷徨う 青空に残された 私の心は夏模様)

The summer’s gone,wind-thistles-

Whose longing are  we to wander across?

Left out in the  blue sky, my heart takes on the shape of summer

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「ワインレッドの心」はどうだろう。(Wine-red Heart

(もっと勝手に 恋したり、もっとキスを楽しんだり)

Get greedier in love  Have more fun kissing

(いま以上それ以上 愛されるのに あなたはその透き通った瞳のままで)

   You’d be loved  even more than now,but you remain  still, with those limpid eyes

と言う具合だ。

 

「いっそセレナーデ」はA  Just-so  Serenade と訳されている。

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ハーバード大・院を卒業して長年日本文学を研究している、ロバートキャンベルだけあって、随所に日本語と日本文学の知識の豊富さを伺わせる。

見事な日本語であり、英訳である。これを深めて、歌える英訳ができて来るのではないだろうか。

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(写真はいずれも世田谷「実相院」の紅葉)

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