ジュピターのブログ~令和徒然紀行~ 

旅(海外・国内)の写真と紀行文、日常のできごととエッセイと風景や花や自然の写真と書評

2019年01月

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                    (写真は、六本木ミッドタウンの黄昏、六義園の紅葉)
                堤未果の「日本が売られる」、国民に知らさない議論不在の裏

 知らないうちに、水道、農地、種子、医療、など生活の基礎を解体して、外国人にビジネスとして差し出している政府のやり方に警鐘を鳴らす「堤未果」の本は読みごたえがある。

 安倍政権の多数決政治で、国会で議論もされぬうちにいつの間にか、「水道民営化法案」は通過してしまった。これにより、自治体が水道事業を企業に任せるようになると、企業は採算が合わなくなったら、値上げをするか放棄するか、資本の論理で水道事業をやめることもあり得ることになる。既に一部の地方では現実化している。
 諸外国で悲惨な結果を招いた水道の民営化が、どんな目的と手続きによって進行したかを記し、外圧とそれに対応する日本側の内実を明らかにしてみせる。
 この20余年、「規制緩和」や「市場開放」なる美名の下に日本に起きた変化の裏側にも、外国の企業や政府の欲望が貼りついているというのだ。『日本が売られる』を読むと、その実態がよくわかる。

 今まで日本人の食の安全保障を守ってきた「種子法」を「農業競争力強化支援法」によって、開発データを民間に無料で提供することができるようになり、世界的なマネーゲームの道具にしてしまった、ともいう。

 また、安倍政権は「農地法改正」によって農地の売買を農業者だけでなく、企業にも扉を開き、果ては外国企業も参加できる可能性をも作り、中国、アメリカ、フランスがマネーゲームの対象にする恐れすらでてきたというのだ。
 農地だけではない。山林から水まで、外国企業の魔の手が伸びようとしているというのだから、看過できないことだらけだ。民間人が可能になるということはいいとしても、外国企業は排除すべきだろう。

 これをマスコミが問題にしないというのがおかしい、と堤はマスコミを批判している。これはその通りだ。事実を世間に知らせるのがマスコミの責任だ。

 また、医療保険制度を外国人が悪用したり、出産一時金なども得ているという実態は、今後外国人労働者が増え、健康保険を悪用するようになれば、私たちの健康保険料は、現在でも高くてアップアップなのに、とんでもなく高いことになる。
 これも一党独裁的国会での審議がされないまま、通過しているせいである。次の選挙では国民は目覚めなければなるまい。一般庶民の死活問題だ。

 グローバル企業とそれを支援する政治の根底には、<今だけカネだけ自分だけ>という強欲資本主義が定着している、という。利益になるなら、彼らは地下水であれ遺伝子であれ二酸化炭素であれ、何もかもに値段をつけて取引する。そして、「日本を世界一ビジネスのしやすい国にする」と明言した安倍首相の下、日本政府は粛々と彼らの要求に応じてみせている、というのだ。

 この警告の書はどこを読んでも空恐ろしい。しかし、対策はある。売られたものを取り返そうとする諸外国の事例を紹介している。早く危険を察知してこれ以上売られることを避けるためには、どうすればいいか、眞の民主主義国家に戻り、国会で少なくとも議論できるように、与党と野党を均衡させなければならないということに国民が早く気づくことだ。

 こういう話は極端に書くとわかるが、薄々知っていても国会で議論をして、マスコミがとりあげて分析せねば、素人の人間にはわからない。国民に知らせないままに法律を作ってしまおうという、今の政権の恐ろしさを国民はもっと知るべきである。なんでも閣議で決めてしまうのだから困ったものだ。
 心あるマスコミならば、すぐ取材して真の実態を明らかにすべく、今からでも遅くない、早く国民に知らせてほしい。
 誰と誰がくっついたとか、離婚の真相は?とか、人のプライバシーを取材するのは後回しでいいから。「嵐」が解散するなど、どうでもいいのではないか。どのチャンネルを見ても嵐ばかり。もっと報道すべきニュースがあるはずだが・・・。

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                         (写真はミッドタウンの新年のスケートリンク
                      桂文枝の新春落語会

 正月13日の日曜日の午後、昨年も楽しんだ桂文枝の落語会に有楽町朝日ホールまででかけた。
 前座は桂三語と三四郎が勢いのある話し方と軽妙な笑いでつとめた。
 文枝は上方落語の代表格であるが、この日はしっとりと穏やかに新作2席で初笑いをとっていた。

 最初は「優しい言葉」。妻に邪険にされて嘆く喫茶店の老マスターに、居酒屋の親父が「優しい言葉をかけてやらなきゃ」と夫婦円満のコツをアドバイスするのだが、いい慣れぬ言葉を話すために、妻からは「病院に行こう、どこか悪いの」と言われるのが落ち。

 2席目は80歳になった元高校球児たちが久し振りに会う交流を描く「目には蚊を」の自作落語。シルバー川柳を巧みに織り交ぜて笑わせる。
 「遺言書に<すべて妻に>と妻の文字」
 「目には蚊を耳には蝉を飼っている」
という川柳では、シルバー客の思い当たることばで笑わせる。飛蚊症や耳鳴りは老人特有の病気だ。
 私も、あとで会話に使おうとメモを取り出した。
 「暖かく迎えてくれるは便座だけ」
 「字を忘れ考えている内に文忘れ」
 「息切れはするけど尿の切れ悪い」などシルバー特有の笑いだ・

 今年も三枝の初笑いで二度三度、腹をよじるほど笑うことができた。
 私も一句、「日に一度 必ず騒ぐ 忘れ物」

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                    (写真は故宮博物館、神獣、白磁の枕、金品茶楼、小龍包)
                故宮博物館と 小龍包と「知らなさすぎた台湾」

 1月7日、台湾の旅、最終日。今日はもう一つの旅のハイライト、故宮博物館で世界に誇る中華文明の至宝を見る。と言っても、3時間半しか見学時間はないし、来日したこともある「翆玉白菜」と「肉形石」は貸出中とのこと。

 それでも、災いを取り除くという「神獣」白磁の「枕」「セミ」「桃紅珊瑚」「壺」「帽子スタンド」など貴重な清の時代の至宝を存分に見ることができた。
 王羲之の書画も入れ替わり展示されていた。
 収蔵品は69万点以上にのぼり、そのすべてを見るには8年以上かかるといわれている。

 ランチは「金品茶楼」で地元の小龍包を腹いっぱい食べた。日本のデパートにも出ている有名なこのお店には、次から次に団体のお客が入れ替わり入ってくる。日本人観光客が大半を占めていたが、熟練した職人がつくっているという本場の小龍包を楽しんでいた。

 帰りのANAは偏西風のおかげで3時間弱のフライトで羽田に到着した。まるで国内旅行のような手軽な台湾の旅だった。

 朝日新聞の記事に次のような台湾に関する記者の取材メモが載っていた。
 戦後、「中華民国」(台湾)の蒋介石は日本に賠償を求めなかった。台湾を歩き、市民と話せば、日本への好感が伝わってくる。東日本大地震災の後には、「東北を助けよう」と来日した台湾からの観光客を東北の温泉地で数多くみかけた。
「日本人は台湾を知らなさすぎる」かってインタヴューで李登輝に言われた言葉を、今痛感する。

 私も、「台湾を知らなさすぎた」ことを、今回の旅で改めて痛感した、これほどまでに、日本の歴史と密接であり、日本に対して親日的国であったことを知れば知るほど、中国や韓国への巧みな外交が必要不可欠であることを知らされた。

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                            (写真は 九份の中華料理と志林夜市)
                     九份の中華料理と台北志林夜市

 九份の豎崎路の階段と基山街の夜店のそぞろ歩きに疲れた足を止めて、夜景を楽しみながら中華料理を楽しむ。
 相変わらず、台湾料理はおいしく、豚肉がやわらかく煮こんである柔らか煮や唐辛子でぴりりと辛く味付けされた肉野菜炒め、スープにチャーハンなど、アルコール度の薄い地元のビールとともに味わう。

 小さな街なので、夕食後は再び台北へ向かったが、私たちのグループが帰る時間にも、次から次にと観光バスが到着して、たくさんの観光客が黄昏の中ノスタルジックな階段に挑戦していた。

 続いて訪れた台北の志林夜市は、台北で一番有名な夜市。1階にはゲームや金魚すくいのようないわゆる夜店、地下にグルメ夜市が並んでいる。私たちは1階の夜店だけ楽しんでぶらぶらする。
 Oさんの奥さんと妻はフェースマッサージと足マッサージに「豪門世家理容」へ出かけた。ガイドさんがしつこく薦めたのだ。
 帰りはほぼ同じ時刻にホテルに到着した。
 今日のホテル「台北西華大飯店(ザ シャーウッド)」も大きな近代的なホテルで居心地満点だった。

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                     (写真は、九份への途中の風景、階段の雑踏、阿妹茶楼)
                     台湾・九份の阿妹茶楼と豎崎路の階段

 台湾紀行のハイライト「九份」へ行く途中の景色は、映画の世界に誘うノスタルジックタウンへ近づく雰囲気を湛えている。
 九份は台湾の一寒村に過ぎなかったが、19世紀末に金の採掘が開始されたことに伴い徐々に町が発展し、日本統治時代に藤田組によりその最盛期を迎えた。九份の街並みは、日本統治時代の面影を色濃くとどめており、路地や石段は当時に造られたものであり、酒家(料理店)などの建物が多数残されている。
「九份」とは、清朝初期に9世帯しかなく、物を買うときにいつも「9つ分」と言っていたことが由来だそうだ。

 九份は、台湾で空前のヒットとなった映画『悲情城市』のロケ地となったことにより、脚光を浴びるようになったし、宮崎駿のアニメ『千と千尋の神隠し』のモデルになったという噂もある、というだけあって映画の世界を連想させる。

 豎崎路の階段には、絶景を誇る茶藝館が並び、中でも軒先にランタンを連ねた「阿妹茶楼」は特に有名で写真スポットとなっている。押し合いへし合いする階段で私もシャッターを切る。「悲情城市」という看板も見える。

 黄昏時の赤いランタンがどこまでも連なる「豎崎路の階段」が続く九份らしい景色には満足した。
 それにしても人が多い。
 そして、基山街に並ぶ土産物屋や食堂。スイーツの店がびっしりと並んでいる小道には、観光客の群れが途切れることなく続いていた。

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