ジュピターのブログ~令和徒然紀行~ 

旅(海外・国内)の写真と紀行文、日常のできごととエッセイと風景や花や自然の写真と書評

2016年08月

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                (写真は夏休みの思い出のコスモス、白駒池の森、ひまわり、野草)

                本屋大賞ノミネートの長編小説「羊と鋼の森」

 宮下奈都の「羊と鋼の森」はブランチブックアワード大賞受賞、2016本屋大賞ノミネート作品で読みごたえがあった。

 「羊と鋼の森」とは何を意味しているのか、しばらく読み進まないとわからない。ピアノの調律に魅せられた一人の青年が成長する過程で気づく、ピアノの調律の奥深さとピアノの音の作られ方、ピアニストと調律師の深い絆のような関係、私の知らないことが多い音の世界の物語だった。

 49番目のラの音を440ヘルツに合わせ、それを基に音階を組み立てる、のが調律だという。

 外村は高校生の時、体育館のピアノの調律にきた板鳥という調律師の調律に惹かれる。そして調律師養成専門学校に入り、板鳥のいる江藤楽器に就職する。それからピアノの調律にまつわる物語が始まる。

 外村はピアノに出会って美しい記憶を思い出す。
 小鍋で煮出した紅茶にミルクを足すと、大雨の後の濁った川みたいな色になる、カップに注がれて渦を巻く液体に見惚れる。
 遅い春の山で裸の木々が芽吹く光景。など私の記憶も思い出させてくれる。

 「明るく静かに澄んで懐かしい文体。少しは甘えているようでありながらきびしく深いものを湛えている文体、夢のように美しいが現実のようにたしかな文体」「原民喜」の文体のような音、それが理想の調律師が作り出す音だ。調律師外村はこの夢を追及する。

 調律した途端に艶がでる、鮮やかに伸びる、ぽつん、ぽつん、と単発だった音が走ってからまって音色になる。葉っぱから木へ、木から森へ、今にも音色になって音楽になっていく。羊毛からできているハンマー、ハンマーから弦に伝わり、ピアノの音楽になる様を「羊と鋼の森」が形容していることが私にもわかってくる。

 鍵盤を指で叩くと連動してハンマーが弦を打つ。ピアニストは鍵盤を鳴らすのではない,弦を鳴らすのだ。自分の指先がハンマーにつながっていて、それが弦を鳴らすのを感じながら弾く。ピアニストにもきいてみたい。

 ギリシャ時代の学問は天文学と音楽。星座の数は88、ピアノの鍵盤は88(52と36)
 善いという字は羊からきている。美しいという文字も。古代の中国では羊がものごとの基準。神への生贄だった。

 たくさんの知らなかった物語を教えてくれた本だ。合唱を趣味としている私にはこんなことも知らないで歌っていたのかと恥ずかしくなるような思いをも感じさせる、すばらしい小説だった。
 知識だけではない。こつこつと自分に向いた仕事なり学問なりを努力することが大事だということも、調律師の主人公から学ばせてもらった。

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(写真は絶景集、ミコノス島の夕陽に飛ぶ鳥、リトルベニス、サントリーニ島の沖合に浮かぶ船、窓格子の中のエーゲ海)

         上野千鶴子さんの「おひとりさま三部作」の完結編

 上野さんの「おひとりさま」シリーズの完結編を読む。統計に基づくと、日本の高齢化と単身世帯化は必然の成り行きで、そういう現状の中で最期をどう生きるか、著者の社会学者的実践法。
 最近、年齢の近い知人の訃報に接することが多く、考えさせられる。
 夏休みに読んだ印象的な文章をピックアップする。

 「ひとりぐらし」でも、孤独でなければ、孤独死ではない。「ひとりぐらし」は、家族がいないわけでもないし、友だちがいないわけでもないから。

 「死ぬのは病院で」という常識から、「在宅死」への考え方がふえてきたが、実際の数字は伸びていない。「在宅ひとり死」の「抵抗勢力」は家族。

 介護力としての「嫁絶滅種」宣言をしたという樋口恵子さんの造語への分析もおもしろい。
 周囲を見ると、お嫁さんが立派に介護をしている場合とそうでない場合は、様々。

 人は徐々に弱っていき、足腰が立たなくなって寝たきりになり、やがて食べられなくなって飢餓状態になり、水も飲めなくなって脱水状態になり、やがて呼吸困難になって、最後は息をひきとる。末期になるとエンドルフィンが出て、モルヒネと同じ作用をするので、老衰は苦しくない。こういう自然死は医療不要だそうだ。
 ただ、「在宅看取り」は看取る方も看取られる方も相当の覚悟が必要だと思う。

 しかしながら、病院に入院すれば生活はすべて病気。家にいれば病気は生活の一部。在宅ケアには不思議な力があるという。

 結局は入院するかどうかは、病気の種類と病状によると思う。在宅介護できればそれにこしたことはないので、在宅介護できるシステムが急務。
 私自身は、遺漏などで延命処置だけの医療は受けたくない。自然死が最も望ましいと思うのだが、思い通りにはいかぬもの。家族はできるだけ延命させたいもの。
 看取る方法には簡単な解決方法はない。そのときに悩むしかあるまい。

 終活とか在宅介護とか。あまり明るくない話題には、ギリシャの紺碧のエーゲ海を見て心を明るく保つことが癒しになる。やりたいことを足腰の丈夫なうちに、とつくづく思う。健康が一番!

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                          (写真はカフェの犬、別荘へ通じる道のシカ)
            蓼科・三井の森のカフェの犬と東急リゾートタウン鹿山のシカ

 三井の森のカフェで休む。オーナーの犬か、私たちの席にちょこんとすわって、妻の差し出す手をなめる。
 この別荘地にドッグウッドのSさんがいるはずと思って電話したのだが、ちょうど1日前にこの別荘から故郷の墓参りに出発してしまったそうだ。残念。

 東急リゾートタウン蓼科にある私たちの泊まっている別荘へ戻る途中、自動車道にシカが現れる。我々の前を堂々と横切っていく。そういえば、ここの住所が鹿山だった。

 蓼科最後の夕べは、親戚のUさんと「まんじゃたんと」でイタリアンと思って予約したのだが、レストランの名前が変わっていたし、期待して頼んだチキンのワンホールではなく、もも肉の揚げたものだったのが残念。

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    (写真は静かな御射池の姿)

 東山魁夷の描いた御射池

 静かに佇む御射池(みしゃがいけ)に行く。これで二度目だが、妻は初めて。
 前回は合唱団の友人Sさんに案内してもらい、夏休みではなかったので人出はなかったが、今回はたくさんの観光客がカメラをかまえている。
 駐車場も整備されつつあった。

 東山魁夷の絵に描かれた森と静かな池面もいいが、周辺に繁茂する水草やアシの緑がいい。
 特に風のいたずらか、丸い輪のような形をつくった草の模様がおもしろい。
 水辺の草や藻の色が目を楽しませてくれる。

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                          (写真は白駒池のもののけの森、撮影クルー)

           「白駒池」のもののけの森ハイキングと「百名山」撮影クルー

 蓼科山の麓にある白駒池ハイキングにでかける。
 ちょっとした池と思い、あまり期待もしていなかったが、駐車場がほぼ一杯になるほどの人気場所。
 パンフには日本三大原生林の一つとされている。日本の貴重なコケの森に認定されているともある。

 木道をしばらく歩くと原生林のような場所に着く。「もののけの森」と看板がでていたが、そう命名したくなる気持ちがわかるほど、苔や原生林がびっしり。

 白駒の池を一周すると1時間強かかる。静かな散策の中に、大勢のハイカーに遭遇。少し観光化しているようだ。
 周囲には白駒の森、オコジョの森などが点在していて、ハイカーが多いようだ。

 戻り路で撮影クルーに遭遇。苔をカメラで撮っている私たちの後姿を撮影していいかと打診されたので、気軽に考えて「もちろんどうぞ」と言うと、どんどんエスカレートしていき、「どんなところが好きですか」などとインタビューもされてしまう。
 聞いてみると9月12日BS3「百名山」の撮影クルーだそうだ。カットするかもしれないが、見てくださいという。楽しみでもあるが、どんなふうに撮れているのか心配だ。へっぴり腰で写真を撮っている姿ではみっともないが・・・。

 苔は周囲の環境にもよるが、長い年月をかけて今のふくよかな姿に成長した。加齢の身を重ね合わせて苔の姿を知らず知らず見ているのかもしれない。人生の生きざまを苔の姿に投影しているのか。

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