ジュピターのブログ~令和徒然紀行~ 

旅(海外・国内)の写真と紀行文、日常のできごととエッセイと風景や花や自然の写真と書評

2016年05月

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(写真は青と赤のサルビアとアリストロメリア)

        終わりを迎えた熟年男女たちの生を見つめる映画

 最近、続けて終末を迎える熟年男女たちの生き方をテーマにした映画を見た。
 一つは「グランドフィナーレ」で、映像美と素晴らしい主題歌「シンプル・ソング」に感銘した。
自分にはあとどれだけ時間が残されているのかを考える時、将来にどう立ち向かうかを考えさせる、意味深な映画でもあった。
 指揮者フレッドを演じるマイケル・ケインは、80歳になって自分が前向きに生きる道をほとんど諦めており、女王が求めた「シンプル・ソング」の指揮をかたくなに拒んだ。理由は妻にささげた曲であり、妻しか歌うことはできないと、それまで大事にしなかった妻へのせめてものロイヤリティを理由に断っていたのだが、娘の離婚、友人監督ミックの自殺を見て、前向きに指揮することになる。
 スミ・ジョーが歌う「シンプル・ソング」は聴きごたえがある。
 映画のように、80歳になって将来に立ち向かう情熱や体力がどれほど残っているか、私にはわからない。

 もう一つは「エルサとフレッド(トレヴィの泉で二度目の恋を)」
 最近妻を亡くしたフレッド(クリストファ・プラマー)は、引っ越したアパートの隣部屋に住むエルサ(シャーリー・マクレーン)に出会う。
 エルサは虚言壁があるが陽気な女性で、次第に二人は惹かれあう。エルサの積極的な誘いに頑固なフレッドの心も次第に明るくなり、人生のたそがれ時を迎えた熟年男女が新たな恋にときめく。しかし、エルサには隠された病気があった。余命いくばくもないことを知ったフレッドは、自由奔放にふるまうエルサの思いに何とかこたえようとする。
 フェリーニの「甘い生活」にあこがれ、マルチェロ・マストロヤンニとアニタ・エクバーグが映画で戯れるトレヴィの泉に行くことを、長年の夢とする女性エルサの思いを、フレッドは叶える。
 エルサの死後、虚言だと思っていたピカソが描いたエルサの肖像画が彼女の金庫からでてくる。息子がエルサの手紙とともにフレッドに手渡すというエンディングが泣ける。

 いずれも、老境に入った男女の生への対し方が伝わってくるし、妻との毎日はこれでいいのかと考えさせられる。それぞれの環境で過ごし方は異なる。悔いのない人生を送ること、生きているうちにやりたいことをやるということは、立場は違っても大切であるということを暗示しているようだ。

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             新横浜プリンスホテル40階での受章記念会食

 我が実兄が「瑞宝中綬章」に輝いたというビッグニュースが飛び込んできた。
 帝国ホテルに宿泊し、天皇陛下にもお目にかかったそうだ。まことにおめでたいことだ。
 長年、地方の国立小児病院院長として、真面目に医者としての業務に精励して社会のお役に立った成果なのだろう。

 受賞後、帰路の途中、新横浜で下車してもらい、横浜に住む姉とともにプリンスホテルの40階で昼の会食。
 レストランから見る景色も抜群だが、兄の顔も輝いていた。

 地道に「医は仁術なり」を実践してきた顔には誇らしげな自信が漲っていた。つつがなく77歳の喜寿を迎える喜びとともに、医者として果たした役割を評価されたという満足感が見えた。
 私たちも親族として喜びを分かち合えてうれしい一日だった。ホテルロビーに飾られている花が一際印象的に見えた。

 こつこつと真面目に務めた人々への感謝が、叙勲という形であらわせるなら価値のあるものだ。政治家や企業家には大綬章が授けられるのだが、社会に直接役立つ人々の方がはるかに有意義である。大とか中とか小の名称は、身近に感じる社会貢献という意味ではまさに逆ではないかと感じるが・・・。

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                       (写真は孫と遊ぶシャボン玉と駆け込み寺の藤の花)

     1000兆円の財政赤字の先は何が待っているのか ~失う前の平常と安全と平和~

 古川元久「財政破綻に備える~今なすべきこと~」を読むと、現在の政治経済の状況に危機感を感じる。

 1000兆円以上もの赤字は世界一の異常さだ。民間の金融資産が1500兆円あるうちはこの異常さに驚くだけでいいのかもしれないが、いずれ国債が売れない状況が生まれるだろう。大幅な貿易収支の黒字が小さくなり、ついに黒字が赤字に転じた時には私も驚いた。今は原油安で黒字に戻ったが・・・。

 円安によって石油の輸入額が増え、国内資産を中国などの外資が買い占めるような現状を目の当たりにすると、将来を案じられる。
 中国人の爆買いが銀座で行われる分は歓迎だが、目黒雅叙園の買い占め、シャープの経営権買収などを目にすると、いよいよ昔日本がロックフェラーセンターなどアメリカの不動産を買い占めた時代に似てきたなという感じがする。

 この後に訪れることはなにか。財政破綻で政治家はだれも責任をとらないだろう。すべて国民が税金で後始末をさせられることになる。
 集団的自衛権で元気な政治家は、いざ紛争や戦争やテロに巻き込まれてしまっても、だれも責任をとらない。苦しむのは国民だけ、ということになる。
 今のうちに、多数党の横暴を止めなければなるまい。チェックアンドバランスであるべき民主主義が、現在の衆参一党独裁的な政治状況では機能しない。憲法改悪も権力の思いのままになる怖れが目の前に迫っている。

 米国は金融緩和から抜け、財政も正常になりつつある。日本と欧州が金融緩和につき走り、財政破綻がもう目の前、という状況だ。日本は、経常収支が黒字の内に財政を健全化しなければならないのに、目の前の景気と選挙対策しか考えていない政治家は愚かだ。

 この本では、今なすべきことは何かを提案している。自立した地域社会、足るを知ること、が解決の一助だという。隔靴掻痒の感じの提案ではあるが、確かに豊かなのに幸せを感じない日本は、暴走するお金の経済に心を奪われているかもしれない。
 一方、東日本大震災や熊本大地震で原発の危険が明らかなのに、原発地元住民は経済的豊かさの幻想を捨てきれなくて、原発稼働を許そうとしている。
 当たり前の日常が大切だということ、つまり、平和も安全も平常も失う前にもう一度認識しなければならないということだと思う。示唆に富む内容の本である。

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             長瀞ライン下り発着場所のホテル「長生館」からの眺め

 藤の花を眺めた後、道路標識にはそこから長瀞15キロという表示があったのを見つけて、ここまで来たのだからと長瀞まで足を延ばす。
 
 ライン下りの乗船場所に「長生館」というホテルがあったので、有料駐車場に入れるよりホテルでお茶でも飲むかと駐車。これが大正解。
 ホテル・ロビーのカフェで珈琲を飲みながら、ライン下りの様を眺めることができた。しかもロビーからお庭に出て、そこから岩畳まで直接階段で降りることができるのだ。
 庭からの景色も抜群、美しい庭の散策も自由でお勧めのスポットだ。お茶代で、混雑を避けてゆっくりと新緑の行楽気分を味わうことができるのだから。

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             樹齢650年、日本最大級の「骨波田の藤」

 軽井沢からの帰り道、関越・本庄児玉インターから降りて、長泉寺「骨波田の藤」を見る。
 「コツハダ」と読む。樹齢650年、長さも1メートル50にもなるという。

 見晴らし台から見下ろす藤棚の眺めは一見の価値ある白と紫の波。

 お寺と藤のコントラストも、白い雲の上に聳えるお寺の屋根のようで幻想的。
 「平成の駆け込み寺」ともいわれているようだ。(墓地無料や格安永代供養などによるもの、今話題の「長泉寺」というふれ込みだ。)

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