ジュピターのブログ~令和徒然紀行~ 

旅(海外・国内)の写真と紀行文、日常のできごととエッセイと風景や花や自然の写真と書評

2011年01月

3-1.再会のミラノ ~追憶のイタリア・平成徒然紀行~
 
あの37年前の追憶の「イタリア・マッジョーレ湖」で、再びベアトリーチェに対面できたのは、2009年7月、妻とミラノ~スイスへの旅の途中である。
 
暑いミラノの夏、事前にメールで約束していたホテルのロビーに、ベアトリーチェは少しふくよかな姿で現れた。妻は、どんなすらりとしたミラネーゼが現れてくるかと、期待しつつも心の底では気にしていたのではないだろうか・・・。私自身もこういう何年振りかの再会の時は、ハグしたりするのがイタリア人の自然な振る舞いかなと心配もしていたのだが、落ち着いた彼女の出現で握手するのが精一杯であった。
    
今は、結婚後三人の娘の母親となり、37年前に私が招かれたあの実家のあるスフォルツェスコ城近くのマンションに住み、アーチストとして自分のアート工房を自宅から歩く至近距離に持っていた。我々が知り合いになった昔、ベアトリーチェにこのようなデザインの能力があるなどとは夢にも思わなかったのだが・・・。
 
 
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                      ベアトリーチェの工房の作品 
 
 
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                         スフォルチェスコ城 
 
ミラノの中心地のこんな一等地で姉夫婦が母親と実家に、そして次女の彼女とその娘が、ここマリアカラスの記念館近くに住んでいるという贅沢さだ。
東京で言えば、皇居近くの丸の内に親戚縁者が皆住んでいるということになる。
 
 
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                                   ドゥオーモ
 
 ベアトリーチェのアート作品は素人の私の目にもすばらしいもので、一つ買うことにし
た。持ち帰りのために小ぶりのボールにした。毎年作品展を開いているらしい。
 
 
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工房のあるビルの何階かに住んでいる娘を呼び出して、カフェでお茶を飲みながら37年ぶりの話をした。娘は小柄なチャーミングなミラネーゼで、我々の再会劇を興味深く聞いている。ドイツでフリージャーナリストや編集の仕事をしているという。もう一人の娘もカナダの大学に行っているというから、グローバルな家族ではある。
 
あのマッジョーレ湖畔の別荘もまだ所有しているという。お父さんは亡くなったが、お母さんが病気ながら姉夫妻と生活しているようだ。今週末、母親と一緒にその別荘に行く予定だそうだ。
 
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                                   別荘 
 
 

2-2.ノスタルジック「マッジョーレ湖」<パランツァ・ストレーザの街>
 
その春休み、マッジョーレ湖畔の別荘には、私を含めて9人が過ごした。
ベアトリーチェは次女、お父さんは建築技師で端正な初老の紳士、お母さんもスリムで優しい細面の美人、それに四人の美人姉妹、二人のお手伝いさんがこの別荘の住人だ。
 
 姉妹はみなベアトリーチェと同様、聖母マドンナのような愛くるしい美少女である。
彼女たちと輝く太陽の下でテニスをしたり、地下室で卓球を楽しんだり、長いディナーの後は私のギター伴奏で日本の歌「春のうららの隅田川」を歌ったり、まるで龍宮城のような夢心地の別荘生活だった。
 
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                                 鏡と写真     
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                   丸窓と外の風景 
 
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                           パランツァのボート乗り場
 
天気の良い一日は湖の島巡りを楽しんでいるうちに、3日間はあっという間に過ぎてしまった。
後でわかったことだが、この島巡りはマッジョーレ湖の有名な遊覧コースであったのだ。そして遊んだ場所は、ボッロメオ家の所有する3つの島の一つ「イゾラ・ベッラ」だったにちがいない。
 
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イタリア人は、生来陽気で気の良い人たちである、とは思っていたが、余裕のある富裕層には特にこの傾向が強いのか、娘の友人に過ぎない私を歓待してくれて、一緒に楽しんでくれた。別荘のプライバシーも保たれていて、疲れていたせいか夜はぐっすりと眠り込んでしまい、朝まで物音で目が覚めることはない。
今から思い出すのは、朝食は皆が食べている時間に、のこのこと加わりおいしいパンとコーヒーとエッグやソーセージにフルーツを食べたことである。異文化に勇敢に飛び込んだ当時の勇気には、今更ながら若い時の特権かなとその図々しさに感心する。
 
 
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                       島のボート乗り場
 
マッジョーレ湖畔のパランツァやストレーザから見るアルプスの山々は、3月とはいえ、まだ頂に白い雪を冠っていた。
この別荘地はイタリアの中でも豊かな人々のバカンスのための土地である。
輝く太陽、マリア・テレサ・イエローの壁ときらきらと強い日差しに反射する大理石の建物、庭先に光る深い群青色の湖、テニス・コートに湖畔のガーデン、見上げると白い雪をいただいているアルプスの山々、イギリスの景色とは全く違う贅沢な景観だ。太陽の輝き方と自然美など地政学的相違性だけを見ても、国民性が違うのが頷けると思った。
 
この思いもかけないイタリアでの思い出は、青春時代の貴重な1ページとして、私の心の中に長い間刻まれていた。
 
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                  ターラント庭園とアルプス
 

2-1.ノスタルジック「マッジョーレ湖畔の別荘」 ~追憶のイタリア~
 
1972年に訪れた時のベアトリーチェの両親の別荘は、マッジョーレ湖畔にある大理石造りで、貴族の館のように見える大きな別荘であった。
 
広い湖畔をまるで自分たちの庭のようにアレンジした設計である。
庭にある噴水やプール、レンガを敷き詰めた散歩道、2面もあるテニス・コート、イスラム模様のような彫刻の刻まれている美しい壁、どれをとっても見事なセレブの別荘の佇まいだ。
特に庭の柵越しに見える湖畔の水面は、マリーンブルーの深い色彩を輝く太陽に反射させ、その下はまるで深い洞窟に続いているかのような目を見張る自然美である。
 
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                            別荘の玄関
 
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昔                                  テニスコート
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                                庭の散歩道
         
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                       庭の柵と湖
       
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                           ゲートと散歩道
   
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                                 庭の壁と大理石
 
その上、家の中にある家具や彫刻そして天井の絵は、イタリアやギリシャの博物館にでもあるような豪華な装いで驚かせて、そして楽しませてくれるし、凝ったフローリングにタイル張りの廊下、それぞれがハイブローな雰囲気を漂わせて、旅姿でカジュアルな服装の若かった私を尻込みさせる。
 
スコットランドの建築技師が腕によりをかけて設計したものを、同じ建築技師のお父さんが買い取ったという。そのとき想像するに、お父さんは裕福なイタリアの資産家なのだろう。
 
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                                    絵と彫刻
 
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                                  庭とタイル
 
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                                  タイル絵

冨士百景 (一部二十景)
 
今年の富士山は自宅からも毎日のように雪を頂いた美しい姿を見せてくれる。
新年から寒波が押し寄せ、日本海側や北国には毎日のように大雪を降らせているのに、太平洋側特に関東平野は快晴で乾燥しているのが、富士山の見える要因のようだ。
 
今朝の横浜の自宅からの富士山の姿は、少しもやっているのか、余り鮮明ではないが正月から連日のように拝むことができる。「冨士塚」とか「富士見」という地名がたくさんあるが、いずれも富士山が見える場所である。
 
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1月中旬、友人夫妻と房総半島に遊んだ。岩井海岸に白い波が打ち寄せるその向こうに富士山が鮮やかに美しい姿をみせてくれた。
 
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昨年の3月下旬、伊豆・土肥海岸から桜の木越しに眺めた富士山も絶景である。
 
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紅葉の季節の富士山も見逃せない。
昨年の11月、河口湖畔からの富士山は、紅葉の木々やコスモスの花々越しの眺めが心を落ち着かせるとともに和ませてくれる。
 
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一昨年の10月、箱根からの間近の富士山も忘れることはできない。
今回は二十景の富士山の絶景であるが、今後旅に行く度に「冨士百景」を写してみたい。アルプスの山々もいいが、富士山は日本人の心そのものだ。
 
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1、ノスタルジック・ミラノ ~追憶のイタリア・平成徒然紀行~
 
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                               (湖を見る筆者)
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                            (船から見る別荘)
 
1972年(昭和47年)3月、ケンブリッジのベル・スクール語学学校で知り合った友人ベアトリーチェを訪ねて、大学院の春休みヨーロッパ旅行の途中、ミラノに立ち寄ったのが物語の始まりである。
 
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                           (ミラノのドゥオーモ)
 
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                       (ドゥオーモの上からのミラノ)                         
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                                   広 場                                       
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                レストランから 
 
 ミラノの中心街、ドゥオーモやスフォルツェスコ城に近い、大理石造りの高級マンションにベアトリーチェの両親は住んでいた。
 
訪ねると、そこはコンシェルジェのいるマンションの最上階の住まいで、肉とスパゲッティーとフルーツ・サラダ・コーヒー付の重いランチをご馳走になった後、
 
「これから家族皆でマジョール湖の別荘に行くのだが、一緒にどうか」という。
 
私は、予約してあったユースホステルをキャンセルして、喜んで家族の車に同乗した。
 
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                          (スフォルツェスコ城)

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