3-1.再会のミラノ ~追憶のイタリア・平成徒然紀行~
あの37年前の追憶の「イタリア・マッジョーレ湖」で、再びベアトリーチェに対面できたのは、2009年7月、妻とミラノ~スイスへの旅の途中である。
暑いミラノの夏、事前にメールで約束していたホテルのロビーに、ベアトリーチェは少しふくよかな姿で現れた。妻は、どんなすらりとしたミラネーゼが現れてくるかと、期待しつつも心の底では気にしていたのではないだろうか・・・。私自身もこういう何年振りかの再会の時は、ハグしたりするのがイタリア人の自然な振る舞いかなと心配もしていたのだが、落ち着いた彼女の出現で握手するのが精一杯であった。
今は、結婚後三人の娘の母親となり、37年前に私が招かれたあの実家のあるスフォルツェスコ城近くのマンションに住み、アーチストとして自分のアート工房を自宅から歩く至近距離に持っていた。我々が知り合いになった昔、ベアトリーチェにこのようなデザインの能力があるなどとは夢にも思わなかったのだが・・・。
ベアトリーチェの工房の作品
ミラノの中心地のこんな一等地で姉夫婦が母親と実家に、そして次女の彼女とその娘が、ここマリアカラスの記念館近くに住んでいるという贅沢さだ。
東京で言えば、皇居近くの丸の内に親戚縁者が皆住んでいるということになる。
ドゥオーモ
ベアトリーチェのアート作品は素人の私の目にもすばらしいもので、一つ買うことにし
た。持ち帰りのために小ぶりのボールにした。毎年作品展を開いているらしい。
工房のあるビルの何階かに住んでいる娘を呼び出して、カフェでお茶を飲みながら37年ぶりの話をした。娘は小柄なチャーミングなミラネーゼで、我々の再会劇を興味深く聞いている。ドイツでフリージャーナリストや編集の仕事をしているという。もう一人の娘もカナダの大学に行っているというから、グローバルな家族ではある。
あのマッジョーレ湖畔の別荘もまだ所有しているという。お父さんは亡くなったが、お母さんが病気ながら姉夫妻と生活しているようだ。今週末、母親と一緒にその別荘に行く予定だそうだ。
別荘