ジュピターのブログ~令和徒然紀行~ 

旅(海外・国内)の写真と紀行文、日常のできごととエッセイと風景や花や自然の写真と書評

2010年05月

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                                           (ジベルニーからの道)
 「げげげの女房」と夢の実現できる時代
 
この5月末で66歳になった。誕生日になると生んでくれた母や父のことを思い出す。
「お前は、朝生まれたのだよ。私たちは5人目はもういいと思っていたのだが・・・。育てやすい子だったが、学資は大変だった。」などと母親のことばを思い出す。
 
既にブログで書いたが、その母は99歳で、父は106歳で天寿を全うしたのは4年前のこと。それも同じ年、同じ月に相次いで、あとを追うようにしてあの世へ旅だったのだから不思議だ。逝く時まで相思相愛だったのだろう。
「人」という字は右でも左でも一つの支えがなくなればもう一つは倒れるように構成されている漢字だ。漢字を作った人は偉い。
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                          (ボーヌ郊外のぶどう畑)
 
朝の「げげげの女房」を楽しく、そして昔の回想に耽りながら見ている。売れない漫画家の夫を支えて成功するおもしろいドラマだ。苦労して成功する話だからおもしろいのだが、これが失敗して惨めな生活のままだと話にはならない。
 
私の両親にも苦労話は一杯あった。明治生まれの人々には苦労は掃いて捨てるほどあるはずだ。明治、大正、昭和、平成と四代を生きて 逝った父母には頭が下がる。自分が高齢世代に入って遅まきながら親に感謝している。
 
貧しかった時代を苦労しながら耐えていけたのは、いつか豊かな文化生活が得られるだろうという期待と可能性があったからだろう。将来への夢と希望が持てるのは、努力すれば実現の可能性が少しでも見えることがなければ夢に結びつかないからだ。
 
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今の若者達に教えておかねばならない教訓が山ほどあるのだが、なかなか分かってくれそうにない。もちろん今の若者にもそれなりの苦労があるのだろうが、質が違う。
 
もっと苦労して海外にも飛び出してほしいのだが、若者達は日本にいるほうが楽でいいとなかなか理解してくれない。親と同じ貧しさから這い上がる環境を味わわないとなかなか理解できないものらしい。ぬるま湯から飛び出して切磋琢磨していかないと、日本の将来は中国やインド・ブラジルにすぐ追い越されるのだが・・・。
 
努力すれば夢と期待が実現できるという可能性が透視できなければ、努力できないだろう。今の不透明な時代に果たしてそれがあるだろうか。若者たちのためにもそういう環境を作らねばなるまい。
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                         (ロマネコンティのぶどう畑)
 

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                              (続 モネの睡蓮の庭) 
 
 
 
 
リンボウさんの「イギリス観察辞典」を読んで
 
イギリス人の生活を見ていると、退屈な時間を楽しそうに過ごす術を皆が有しているように見える。 旅行をしていてもプールそばで寝転がって本を読む。パブで一杯のビールを長い時間かけて飲みながら、ゆっくりと話している。決して忙しく買い物や観光に精出さない。家族や友人とスローライフをゆったりと過ごすのだ。
 
一方の日本人は、旅しても買い物だの史跡見物だの精力的に矢継ぎ早に歩いて回る。レストランでも大声で喚声をあげている。何をそんなに忙しく時間を過ごしているのだろうと、イギリス人には見えるそうだ。
日本の休日には、皆がそろってドライブにでかけるものだから大渋滞が起きる。行くところも同じだから目的地でも大混雑なのだ。
 そういう時こそ、家の庭で寝そべってゆっくりと本でもよみながら日光浴を楽しめばいいのにと思うのだが、皆と同じ行動をとりがちな日本人の習性なのだろう
 
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勤めていた時の充実感は分刻みのスケジュールに自己満足していたのだろうか。
「何時から来客です。その後会議室で打ち合わせです。」などと秘書の告げる予定が心地よかったのは7年前だ。
定年後の職場は余裕のあるポストでスケジュール表にも白いスペースが多くなった。
 
そして完全定年後、手帳にスケジュールを書き込まなければ不安な時期もあったが、やっとその時期をのり越えて、今や合唱練習の木曜日と英語クラスの金曜日以外は 定例の予定はなくとも、十分充実して楽しい。
定例以外は、時々入るゴルフの約束や飲み会の約束、妻との旅行や友人との旅行が加わるのがまた楽しい。満開の桜だけではなく、ライトアップや散り際の桜の微妙な変化や、新緑の木々の芽吹きの美しさや庭の花々の色合いの変化を味わう余裕がでてきた。
 
手帳にスペースが多くなるようになってから、日本人のせっかちな習性から脱却して、イギリス人の「退屈の過ごし方」を理解できる準備がようやく整ったようだ。まだまだ ぎこちないスローライフの会得はスローペースで・・・・・・。 
 
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                                  (モネの家の庭のクロッカス) 
 
 

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                                      (フランス・ジヴェルニーの桜)
 
若い党首のイギリスの保守と日本の二大政党制の行く末
 
ブラウンの労働党が敗れた。変わって保守党が自由民主党と連立政権を樹立した。党首が43歳のキャメロンという若さの保守だからおもしろい。年齢や話し方から見ると、ブラウンの方がよほど保守的に見えるのだが・・・。
 
イギリスの保守とはなんであろうか。「Conservative」 というからには伝統を守る党にちがいない。設立が産業革命後にさかのぼる1800年代中ごろだから 歴史は長い。1920年ころまでは教科書で習ったディズレイリ党首と自由党のグラッドストーンとの二大政党で政党政治を発展させ、第二次大戦後、労働党との二大政党政治が確立したのだ。チャーチルも当然保守党である。
そして今年、自由党は自由民主党として第三政党として復活してきたのである
 
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基本的には市場経済と社会福祉にどの程度の重点をおくかで、保守と革新、社会民主に分かれているように思えるが、結局は富裕層と中間層、そして労働者階層をどれだけ選挙で取り込めるかということになる。
 
二大政党制になりきっていない日本では、今度の参議院選挙で日本国民がイギリスと同じような第三党にどれだけ票を入れるか、全て経済の動向と沖縄の結末にかかっているように見える。
余り混乱してほしくないし、正しい方向性だけは間違えてほしくないと思っている。
 
消費税は早く実施し、財政再建への青写真を作ることと、沖縄駐留の米海兵隊は縮小させ、沖縄の負担を少なくする、という最低限の要求をアメリカに示すことは、今後の日本外交の健全化には必要であると思っているのは、私だけであろうか。
 
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                                 (モネの家と庭)
日本の政治家には戦略的外交に早く慣れてもらいたいものであるが、アメリカや中国の狭間でブレないことが肝心だ。
 
イギリスのブレアは、最初はうまく立ち回っていたが、湾岸戦争以来 遂にブレてしまった後 ブラウンに引き継いで、そして今回 労働党の終焉を迎えるという結末になってしまったのである。
 
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                               (モネの水の庭園)

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                        (セントジェームズパークからバッキンガム宮殿を望む)
BRICSの台頭とイソップの教訓
 
生涯学習の英語クラスでニューズウィークのコラムを読んでいる。
今回は、O’NEILLの「BRICS」という記事である。それによるとゴールドマンサックスでブラジル、ロシア、インド、中国が台頭してくると予測したのは、2001年から2002年にかけてのことだったらしい。今から8年以上も前に西欧経済からアジアやインドへのシフトの時代を予測していたのだ。
 
確かに、13億もの人口を持つ中国や10億のインドの台頭は、きっかけと道筋さへ整備されれば、それらの人口に比例する経済力が世界で影響力を発揮してくることを予想することは容易ではあったろう。ただ、それを先進国の力がいつまで押さえつけることができるかということであったろう。
今や、アフリカまでもがその資源力をバックに力をつけつつある。
 
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この記事を英語で読解していくのが、英語クラスの本来の趣旨ではあるが、メンバーの中に経済には特に詳しい定年退職者がいて、過去の経験と知識で解説してくれる。これを聞くのもまたこのクラスの楽しみでもある。ただ、メンバーには女性も三分の二以上はいるので、皆がこの雑談的話を楽しんでいるとは必ずしも思えないのだが・・・。 私も時々得意の話題になると、ついでしゃばって話すことになるのだが、心しなければなるまい。
 
今日も英語の訳はそこそこに 「インドのこれから」という話題で大いに盛り上がった。インドや中国の若者との対比の中で、海外への留学や飛躍への向上熱が日本の若者に欠けてきたことに皆が嘆く。我々の時代は、世界に羽ばたいて知識を深め夢を持ち続けて努力したのに、今の若者世代は海外に行っても苦労するばかりでその見返りがないと言い、日本で楽な生活を謳歌することを選択するそうだ。
 
ハングリーな時代を経験しなければ夢を持つことができないのか、それとも豊かさは努力しなければいつまでも続かぬというイソップの教訓がわからないのだろうか。
 
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                                     (キューガーデン) 
 

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                                          (キューガーデンの孔雀)
合唱(コーラス)の魅力とフィギュアースケート
 
合唱音楽コンクールの魅力に引き込まれながら最後までテレビを見てしまった。
 
子供達のひたむきな練習の姿、国語の先生(音楽ではない)が合唱コンクールに出場するために毎日努力して遂に県大会で銀賞を獲得する感動、100人を越える中学生がプロと一緒に番組で歌う感激など、ひたむきなコーラスへの熱意に魅せられたのだ。
 
アンジェラ・アキやドリカムの吉田美和など一流の歌手が作詞・作曲した課題曲を歌うおもしろさは、歌ってみないと理解できないかもしれないが、達成感を味わうことができる。 もちろん、私たち初老には昭和30年代の課題曲「花のまわりで」のような素直でリズミカルで明るい曲のほうが親しみやすいのだが・・・。
 
合唱コンクールを聞いていると、課題曲は上手なのだが、自由曲はもう一つとか、その逆もある。フィギュアースケートのショートプログラムとフリーの関係かもしれない。特にスケートのフリーは選曲が大事だ。荒川静香が金メダルを獲得した時の選曲は抜群であった。開会式にその曲が歌われたというのも偶然だが、時に合った運命を感じさせる。
 
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実は、私も中学時代にこの「合唱コンクール」には出たことがある。毎日の練習は本当の教育だったかもしれない。
そして今、定年後「マトゥーリ」という熟年男声合唱団で週1回練習して、すでに二度の発表会を経験した。毎週の練習は結構つらいものがあるが、それを発表する時のわくわくする気持ちは子どもの時と同じである。
 
サラリーマン時代と異なって、今 合唱をやる良さは、年の差を越えること、地位には無関係なこと、職業にも無関係なこと、ただ同じ声域で声を合わせ他の声域とハーモニーを作ることを無心に求めること、などだからであろう。
体にもいい、精神的にもいい、いいこと尽くめの練習の毎週である。これも一つの壁を越えた人生の楽しさなのであろう。
 
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