(ジベルニーからの道)
「げげげの女房」と夢の実現できる時代
この5月末で66歳になった。誕生日になると生んでくれた母や父のことを思い出す。
「お前は、朝生まれたのだよ。私たちは5人目はもういいと思っていたのだが・・・。育てやすい子だったが、学資は大変だった。」などと母親のことばを思い出す。
既にブログで書いたが、その母は99歳で、父は106歳で天寿を全うしたのは4年前のこと。それも同じ年、同じ月に相次いで、あとを追うようにしてあの世へ旅だったのだから不思議だ。逝く時まで相思相愛だったのだろう。
「人」という字は右でも左でも一つの支えがなくなればもう一つは倒れるように構成されている漢字だ。漢字を作った人は偉い。
(ボーヌ郊外のぶどう畑)
朝の「げげげの女房」を楽しく、そして昔の回想に耽りながら見ている。売れない漫画家の夫を支えて成功するおもしろいドラマだ。苦労して成功する話だからおもしろいのだが、これが失敗して惨めな生活のままだと話にはならない。
私の両親にも苦労話は一杯あった。明治生まれの人々には苦労は掃いて捨てるほどあるはずだ。明治、大正、昭和、平成と四代を生きて 逝った父母には頭が下がる。自分が高齢世代に入って遅まきながら親に感謝している。
貧しかった時代を苦労しながら耐えていけたのは、いつか豊かな文化生活が得られるだろうという期待と可能性があったからだろう。将来への夢と希望が持てるのは、努力すれば実現の可能性が少しでも見えることがなければ夢に結びつかないからだ。
今の若者達に教えておかねばならない教訓が山ほどあるのだが、なかなか分かってくれそうにない。もちろん今の若者にもそれなりの苦労があるのだろうが、質が違う。
もっと苦労して海外にも飛び出してほしいのだが、若者達は日本にいるほうが楽でいいとなかなか理解してくれない。親と同じ貧しさから這い上がる環境を味わわないとなかなか理解できないものらしい。ぬるま湯から飛び出して切磋琢磨していかないと、日本の将来は中国やインド・ブラジルにすぐ追い越されるのだが・・・。
努力すれば夢と期待が実現できるという可能性が透視できなければ、努力できないだろう。今の不透明な時代に果たしてそれがあるだろうか。若者たちのためにもそういう環境を作らねばなるまい。
(ロマネコンティのぶどう畑)