ジュピターのブログ~令和徒然紀行~ 

旅(海外・国内)の写真と紀行文、日常のできごととエッセイと風景や花や自然の写真と書評

2010年01月

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     メンフィスの遺跡  スフィンクス  ラムセス2世巨像  パン焼く女性  遺跡とラクダ

 メンフィスと横たわるラムセス2世巨像

 メンフィスは古代エジプト王国の首都であったが、今は廃墟。スフィンクスと一部の遺跡が残っている。 このスフィンクスは保存状態もよく端正な顔立ちをしている。
 博物館にはラムセス2世の巨像が横たわっている。身長は15メートルもある大きさだが、脚の一部が欠けている。確かタイのアユタヤ王朝にも横たわる金箔の仏像があったが、思想的には同じ信仰対象となるのだろうか。

 立ち寄ったパン焼きの風景はおもしろい。パン焼きの写真を撮ったら「ワンダラー」、らくだに乗る警官と一緒の写真を撮ったら、これも警官が「ワンダラー」、トイレに立ち寄ると「ワンダラー」、そして群がってくる物売りはボールペン1本とちゃちではあるがブレースレット一つと交換するという。 私も小さいスカラベとボールペン1本と交換したが、そのスカラベは欠けていた。

 レストランの給仕はほとんどがウエイター。ウエイトレスはホテル以外ではみかけなかった。仕事が農業と観光以外には余りないからだろう。男性トイレの前には男、女性トイレの前には女、若いのも年よりも皆長い民族衣装を着ている。
 驚いたのは、農作業もファルーカ(船)の漕ぎ手もこの長い「作務衣」のような民族服を着て作業していることだ。動きにくかろうとは思うが、寒暖の差が大きいエジプトではこの衣服がベストなのかもしれない

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 階段ピラミッド  屈折ピラミッド  赤のピラミッド  太陽の船  古代のロープ 砂漠のラクダ

 階段ピラミッド、屈折ピラミッド、赤のピラミッド、と太陽の船

 サッカーラには6段の階段状になった高さ60Mの面白い形の「階段ピラミッド」がある。それまでとはちがった石材と新しい形だという。
 ダフシュールには角度の変わっている「屈折ピラミッド」と、赤っぽい石が使われている「赤のピラミッド」がある。鉄分の多い赤みを帯びた石灰岩のピラミッドは特に美しい。

 それぞれ世界遺産となっているほどの価値がある。なんと言っても、ピラミッドは現代人の好奇心と謎解きの誘惑を起こさせる産物だ。ファラオの永遠への願いを古代の技術者が4000人で20年がかりで作り上げたというのだから。
 4500年前のピラミッドを2500年前のローマ人が観光していたという最も古い歴史を持つエジプト。砂漠の中にすっくと立ち、らくだやロバが荷を運ぶ姿を背景に、観光バスが群れ、世界各国の旅人が集まっている。水が全くない茶色の空間。4500年前にはどのような生活があったのだろうか。想像するためにも一度 自分の足で立って見てみたい空間であった。空高く、太陽に近く、つまり神にできるだけ近く、来世の世界を信じての信仰心と権力の誇示がこの不思議ワールドの神秘に迫る答えになるのだろうか。

 ギザのピラミッドのそばには「太陽の船博物館」がある。
「クフ王の船」と考えられている木造船が数万パーツを復元して展示されている博物館だ。
 当時のロープもそのまま保存されている。王がよみがえる時のためにレバノン杉で作られた巨大な木造船だという。4000年以上も前の縄が原型を残しているということも驚きだが、蘇るときのための「太陽の船」という概念は強い信仰以外の何ものでもない。

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      クフ王のピラミッド ギザの三大ピラミッド スフィンクス カイロ市内からのピラミッド

 世界遺産 ギザの三大ピラミッド

 ギザのピラミッドは4500年前、古代エジプト王朝時代に造られた。カイロ市内からも見えるほど市街地に隣接している。
 その中でもクフ王ピラミッドが最も高かったのだが、現在は頂上部がなくなって146メートルが137メートルと低くなっている。 内部にはカメラは持ち込めず、預けて狭いトンネルを下り、そして上らなければならない。人いきれでムッとするし、すれ違うことのできない狭い階段では待たなければならない。シーズンの時は混んで大変らしい。一番奥の玄室には大きな石棺があるだけ。どうやって重い石を積み上げたのか、そしてその石の中にどうやってこんな空間を造るのか、そして今は棺だけなのが不思議だ。天井には長い花崗岩が横に渡されているが、これらの積み上げ方の説には直線傾斜路説もあるがNHKの番組では内部トンネルで運搬したと説明している。

 真ん中にあるカフラー王のピラミッドは保存状態がよく、最も美しいピラミッドと言われている。大スフィンクスが付属しているので有名だ。

 メンカウラー王のピラミッドは65.5Mとやや小ぶり。

 これらのピラミッドがギザの三大ピラミッドと言われているものだ。
 古代技術者の科学的設計術を現代の科学では推測でしか説明できないのがミステリーである。権力の誇示ということはわかるとしても、墓なのか、ただの記念建造物なのか、公共事業なのか、世界の7不思議と言われる所以である。

 スフィンクスは参道を前にしていつまでも遠くを眺めている。いかにもピラミッドの保護神という感じだ。砂漠の中に、スフィンクスを従えて堂々と立つ三大ピラミッドは、いかにも王の威厳を象徴するものと言える。

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  スフィンクスとピラミッド ギザの三大ピラミッド カイロ市内の交通渋滞 市内からのピラミッド

 

エジプト・カイロへの旅

 足腰の元気なうちにと思いエジプトへの旅に出かけた。成田から14時間、おまけに機体の整備不良で3時間遅れの出発となり、遠い旅の予感がする。 行きだけはしっかり眠っておこうと、プラス料金でビジネスにしたのは、結果的に成功だった。エジプト航空の飛行機の中ではアルコールのサービスがない。通関後ビールとワインを買って乗り込んだ。客が持ち込んで飲むのは自由らしい。エジプトのホテルでもそうだ。不自由だが観光客は例外である。

 カイロに着くと深夜なのに交通渋滞、朝の風景もバス道の両側に屋根の上は鉄骨むき出しの建物や、果ては屋根のない家が並んでいることに驚く。雨の少ないことと税金対策と説明されるが、外向きの飾りつけは質素にという考え方からなのかもしれない。イスラムの教えには 人に羨まれるようなことをすると あとで災いが来るという考えがあるという。あえて 住まいの外観をみすぼらしくしておくようだ。
 街路は概して埃っぽく汚い。特に清潔好きの日本人にはトイレの不潔さはいやになるほどだ。そして必ず入り口に人がいて1エジプトポンドのチップを要求する。小銭を用意するのに神経を使う。しかもエジプト紙幣はよれよれでしかも汚い。新券を発行しないからだろうか。それにしても 掴むのがはばかれるほど 不潔である。 一方エジプトポンドと比べて ドルの価値は高いようだ。どこの観光地に行っても 物売りの「ワンダラー、ワンダラー」の呼び声が聞こえた。たまに「ゼンブでセンエン」というのもあった。

 カイロはナイル川のデルタ地帯にある首都、「エジプトはナイルの賜物」ともいわれるほどでナイル川に依存しており、ナイルなくしてエジプトは語れない、というのが第一印象だ。
 最初に断っておかなければならないが、エジプト旅行はスイスやイタリア、イギリスなどのヨーロッパ旅行とは全く異質であることだ。何を期待するか、価値観や楽しみ方を180度転換しなければ理解できないことだ。このことは再び結びで述べたい。

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                              横綱 白鵬 朝青龍 の土俵入り

 明治神宮の横綱奉納土俵入り

 今年もラッキーな年になってほしい、と願って迎えた三が日だが体調が思わしくないので、大事をとって初詣を延ばしていた。 ようやく治りかけ、気分もよく天気もいいので 思いきって例年どおり明治神宮に初詣でに行った。

 もう人ごみも少なかろうと思ったのはまちがいで、なぜかぞろぞろと大勢の参拝客が歩いている。三が日を過ぎてもこんなにお参りをする人々が多いのか。不況のせいかと思っていた。 と、その理由がわかった。 正面にあるお賽銭箱へのびる参道の両脇に、パイプイスが整然と並べられている。なんだろう。しばらくするとアナウンスがあった。

「本日3時から相撲協会の理事の参詣ならびに横綱白鵬と朝青龍の手数入りがございます」

 なんというラッキーなことか。 土俵入りあと5分というぎりぎりのタイミングで、新年早々両横綱の土俵入りがみられるとは。
「今年は春から縁起がいいわいな」とばかりにケイタイのシャッターを切った。

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