ジュピターのブログ~令和徒然紀行~ 

旅(海外・国内)の写真と紀行文、日常のできごととエッセイと風景や花や自然の写真と書評

2009年01月

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                           写真は パムッカレ(綿の城) 神殿

 熟年世代の平成徒然日記
 NO27 もう一つのギネスもの~明治生まれ4時代を生き抜いた106歳~

 106歳まで明治・大正・昭和・平成と4時代を しかも1901年から2007年まで2世紀を生き抜いた父は、それだけでもギネス入りではなかろうか。

 朝の雨戸の開け閉めや庭や玄関先の掃き掃除は、毎日の日課であった。
 用事を思い出してはこまめに動き回り、「あれこれ」と妻や子供に用件を言わず、自ら体を動かす。
クロッケーで老人仲間と遊び、詩吟を大きな声で張り上げる。

 くよくよしない、すぐ忘れる、マイペースで動く。
 規則正しく、体に悪いことは あまりやらない。無理をしない、ほどほどのところで抑える。
 体型はやせ形で 余計な肉はついていない。

 今思えば、旅行を楽しむわけでもなく、賭けごとに興じるわけでもなく、子供や孫の成長に気を配る毎日に満足して一生を終えたが、現代の余裕のある我々からすれば、楽しい人生を送ったかどうかは怪しいものである。
 
 ただ、本人にしてみれば、戦後の苦しい時代に体を張って、生活を守り、子供に十分な教育をさせ、5人ともある程度の人間に育てあげた、という充実感と満足はあったはずである。 金にあくせくして、挙句の果ては金融危機を招いて世間を惑わす現代のモラル低下など、頭の隅にもない清廉潔白な人生であった。

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                 写真はカッパドキア、イスタンブールのバザールとレストラン

  熟年世代の平成徒然日記
  NO26 長寿のメニュー ~鶏肉の皮、いりことレンコン~

 長寿だった両親の朝は早く、規則正しい起床から始まる。
 朝には、庭から とれたての生野菜を皿いっぱいに仕立てたサラダを十分にとる。
 夕食には、魚主体であるが、週に1~2回は必ず肉料理がテーブルにのぼる。 母はビール、父は日本酒が毎夕の食前酒だ。

 鶏肉やシャケの皮についている脂肪は大好きで よくカリカリに焼いて食べていた。
 大根の葉っぱとこんにゃくと油揚げを フライパンでごま油炒めにした料理は 今でも私は妻につくってもらい、母の味を思い出している。

 私が子供の頃、十分な食料がない時、みそに いりこを刻んだ佃煮のようなものをつくってくれたが、それをおかずにしてよく食べたものだ。
 牛肉の端切れを醤油と砂糖で甘辛く煮たものや レンコンの醤油煮も思い出す。弁当のおかずにはもってこいのメニューだ。
 フルーツは毎食後何かを用意する。瀬戸内海はミカンや文旦の宝庫だからだろうか。

 腹八分目が口癖で、年寄りになってボケに近くなった時、
 
 「これで ご飯は何杯目か」とよく聞いたものだ。     (続く)

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                    写真は トルコ・ボスフォラス海峡、ブルーモスクと老人

 熟年世代の徒然日記

 NO 25 ギネス新記録に今一歩 ~「二人合わせて 205」~

 私の父母は 二人合わせて205歳まで二人して仲良く人生を生き抜いてきた。
 父が数えで106歳、母が99歳、で 平成18年の9月まで共に存命であった。 しかも 同じ年、同じ月に 23日違いで世を去るまで。

 かくも持ちつもたれつの人生を私は知らない。
 あの城山三郎も 「そうか もう君はいないのか」 と愛妻の偉大さを書き記したように、伴侶の重要性は言葉に表せない。 
 私の父母のように、 傑作「おや 君はまだそこにいるのか」 という理想的な人生を私は望んでいる。(NO23 のブログに掲載)

 私の兄弟姉妹には、 ありがたいことに父母の長寿のDNAが遺伝しているようで、 私が64歳の今 80歳台の長女を筆頭に5人ともすこぶる元気で健在である。
 
 何が両親二人の長寿の秘訣であろうか。 良いDNAは何によって培われてきたのであろうか。(続く)

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  熟年世代の徒然日記
 NO24 ゴールデン スランバー ~ありふれた 平穏な年 を夢見て~

 ビートルズの「アビー ロード」の中にある曲名である。
 Once there was a way to get back homeward. (昔、故郷へ続く道があった)
 Golden slumber fill your eyes.      (黄金のまどろみ が目にあふれ)
 Smiles awake you when you rise.      (ほほえみを浮かべ、君は起きる)

 ケネディ暗殺が底流にあるのだろう。アメリカのビデオ映画「24(トゥエンティ フォー)」の内容ならついていけるのだが、日本の仙台では非現実的な筋書きに映る。

 それでも、行ったり来たりの、まるで「ロスト」の手法の展開は、私を引き込んでいく。
秋葉原事件をはじめとする現代の 病んだ世相をほうふつとさせるような、社会の一部ではあろうが 今の若者の思考過程を垣間見るような物語のプロットに、何故か引き込まれつつも 違和感を覚える。

 ビートルズの曲名を本の題に掲げ、 ケネディ暗殺の謎を底流に、現代の世相を垣間見させる手法で、日本の仙台を舞台にして、あり得そうにない首相暗殺劇を小説化した思考過程は 私にはやや難解で スルリとは入り込めないが 今の世代にはスムースな流れになるのだろうか。

  携帯電話で居場所を知られる逃亡者の恐怖という設定は、 サスペンス映画ではよくあるストーリーだが、まだ日本では映画の世界かと思っていた。 それに セキュリティポッドという監視社会への批判も先取りではあるが よくある映画の筋書きだ。

 犯人に仕立て上げられた主人公の周りに配置された 友人や知人の 普通は期待できなさそうな好意は 体制側ともいうべき組織の非情さを 対比的に浮き立たせる。
 マスコミを逆手にとった背水の作戦は、後半部分で急速に私を引き込む。
 
 「ゴールデンスランバー」とはどういうことを意味しようとしているのかと 思って読み進むうちに、ようやく追跡から逃れて、安穏な日々に戻りたい心の状態だということだとわかってくる。

 しゃれた題と奇抜なテーマで読者を驚かせつつ、引き込んでいく筆力はすばらしいものがある。久々に楽しませてくれた秀逸の物語である。
 「まどろむことのできる友情」「ありふれた日常」『安穏な日々」を求めているテーマは 今の「年越しもできない派遣社員」の実態を予見したものなのか。 今年こそ 事件の少ない 「ありふれた年」で良いのだが・・・・・・・・。

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