jupiterhのblog~平成・令和徒然紀行~ 

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朝6時台のラジオ「サンデーエッセイ」で養老先生が、散歩の時わからない花や木の名前を「植物判定アプリ」で調べる、ということを聞いて、早速スマホのアプリを試してみた。

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今までは、この花は何だろうと思って図鑑で調べてもなかなか、お目当ての花や木がみつからない。それに似た花を見つけてもどっちかなと思うことがしばしばだった。今後はこのアプリである程度正確な花の名前がわかるはずだ。便利になったものだ。しかも無料で!

「花の名の わからぬものは 妻に聞く」から

「花の名の わからぬものは アプリ見る」になった。

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時々不思議に思うことがある。ラインにしろ、スカイプにしろ、ズームにしろ、便利に使っているのだが、これがなぜ無料で使えるのかということだ。どこかでそれを開発した企業には利益を回収できるメリットがあるはずだ。有料の顧客を持っている、コマーシャル代で賄える、そして推測だが利用客の情報補足があるのかもしれない。というのも、旅する時、B&Bをホテル・ドット・コムで予約すると次から次にとホテル情報がコマーシャルで画面に現れる。アマゾンで購入するためカメラの情報を見た途端、カメラのコマーシャルがどんどん画面に現れる、というのが推測の証拠だ。つまり、私が何に興味を持つかということがすぐさま補足され、データバンクにはいってしまうのだ。中国などでは、すでに個人情報はすべて国が握っているともいわれている。「クワバラクワバラ!」

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ところで、この「クワバラクワバラ」という言葉の語源がおもしろい。

「左遷された太宰府でこの世を去った菅原道真公。その悲しさと虚しさとうらみは、都に異変を起こす。都では落雷などにより、亡くなる貴族もでてきた。都では菅原道真公の祟(たた)りだと恐れたが、道真公の所領であった「桑原」には落雷がなかったという。この「桑原」には落雷がなかったことから、落雷を防ぐ、そして、災難から逃れる言葉として「くわばらくわばら」というようになったということです。」と書いてあった。

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(写真は 水仙、蝋梅、チェリーセージ)

「陰翳礼讃」は、谷崎潤一郎の随筆。まだ電灯がなかった時代の、今日とは違った日本の美の感覚、生活と自然とが一体化し、真に風雅の骨髄を知っていた日本人の芸術的な感性について論じたもの。西洋の文化では可能な限り部屋の隅々まで明るくし、陰翳を消す事に執着したが、いにしえの日本ではむしろ陰翳を認め、それを利用することで陰翳の中でこそ映える芸術を作り上げたのであり、それこそが日本古来の美意識・美学の特徴だと主張する。

また、谷崎潤一郎の日常の経験をもとに、現代の「暗い」と称されている領域の中の微細な陰影に感じ入る美の感覚を捉えて解説している。生活に明るさを求めるがゆえに失った、暗さのなかの抑揚、昔から受け継がれて今に形を残すものの本質的な美しさをわれわれは実は知らないのかもしれない、と書評にあった。

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塗り物の吸い物椀の例で、その蓋を取って口に持っていくまでの間、暗い奥深い底のほうに、容器の色とほとんど違わない液体が音もなく澱んでいるのを眺めた瞬間の気持ちを、次のように書いている。「赤味噌の汁なども、覚束ない蝋燭のあかりの下で、黒うるしの椀に澱んでいるのを見ると、実に深みのあるうまそうな色をしているのであった」

匂い、椀の中の液体の重みや揺れ、湯気、温度といった複合の美が、暗くて視覚できない中身を、他のセンサーの複合によって感受する瞬間的な美の価値を、「一種の神秘であり、禅味である」と言っている。

ただ、こういう感覚を味わえるのは、日本家屋の畳と床の間、障子に行灯か蝋燭という雰囲気があってこそ味わえるのだろう。

読むべき価値ある作品だとは思うが、私自身の現代感覚とは少しズレがあるのは、明るい西洋風の生活に慣れたせいかもしれないが、暗い光の下で澱んだ色をしている汁を眺め吸う料理では、旨さを感じないのではなかろうか。神秘的とは感じるが・・・。

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「かって漱石先生は<草枕>の中で、羊羹の色を讃美しておられたことがあったが、そういえばあの色などはやはり瞑想的ではないか。玉のように半透明に曇った肌が、奥の方まで日の光を吸い取って、夢みる如きほの明るさを啣んでいる感じ、あの色合いの深さ、複雑さは、西洋の菓子には絶対に見られない」と、塗り物の菓子器に入れた羊羹の色の瞑想的なことを讃えている。

ただ、黒い、奥深い色をした羊羹が黒塗りの漆器の上にのって出てきたら、外国人は無気味に思うかもしれない、という書評もあった。外国人には生まれ育った環境や文化で、おいしそうな色というのは日本人とは別であることは理解できる。私たち日本人は、羊羹には濃い緑色のお茶がおいしく、羊羹に合った器の色がおいしさを増してくれる。

黒や朱塗りの漆器が並ぶ和食は程よく暗い部屋でいただくのが良いそうだ。LEDや蛍光灯はもちろん、白熱灯よりも「一層暗い燭台(しょくだい)」のゆらゆらした光の下で食器を見つめれば、「沼のような深さと厚みとを持ったつや」が浮き上がり、私たちを深みに迎えてくれる。味覚に旨みがあるように、視覚には深さと厚みを希求する本能のようなものがあると、他の書評にはあった。

ただ、自分の好みだけで言わせてもらえれば、薄暗い陰影のある料理ではなく、ある程度映える器の方がよく見えて、新鮮な瀬戸内料理を食べる方が美味しいと思えるのだが・・。

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 国宝「曜変天目」(静嘉堂文庫美術館)を見たことがあるが、白や青、赤の色彩を帯び、これが日本間のしかるべき明かりのもとにあれば雰囲気は更に高まることだろうと思った。

 また、「建物の奥の奥の部屋に行くと、もう全く外の光が届かなくなった暗がりの中にある金襖や金屏風が、遠い庭の明かりの穂先を捉えて、ぼうっと夢のように照り返しているのを見たことはないか。・・私は黄金というものがあれほど沈痛な美しさを見せる時はないと思う」という表現には同感だ。奥の部屋には金の襖や屏風がよく似合う。
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 一方で、海外のホテルに泊まった時、部屋の照明が薄暗くて、本や新聞が読みにくいと感じることが多いのは私だけだろうか。狩猟民族は農耕民族と比べると目がいいのだろうかと思うことがあるほどだ。部屋の明るさはきっと長い歴史の中で変化してきたのだろう。

 この本は、大川裕弘が添えたカラー写真が文章をさらに具象化してくれた。写真を見ながら読みながら夕刻の窓際で、苦いお茶と冷やした水羊羹といっしょにゆっくり味わいたい。

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(写真は前田邸の日本間と京都の丸窓と金屏風と瀬戸内料理)

 半沢直樹シリーズの第5作目で、時系列的にはシリーズ第1作『オレたちバブル入行組』の前日譚にあたる。半沢が東京中央銀行大阪西支店へ赴任して間もない頃に起こった美術出版社の買収案件に端を発する物語。

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 負債を抱える美術出版社「仙波工藝社」の買収オファーを掛けたのは新進IT企業「ジャッカル」。ジャッカルの社長・田沼時矢は世界的に有名な絵画コレクターであった。

 仙波工藝社社長が買収に応じる意思がないことを確認した半沢は、資金繰りに苦しむ仙波工藝社を救済すべく二億円の融資の稟議を作成し承認を待つ。しかし、大阪営業本部からは稟議が突き返される。稟議が突き返されたその裏には、東京中央銀行の重要取引先であるジャッカルの社長・田沼が熱望する仙波工藝社の買収話を何としてでも成立させようとする大阪営業本部次長の和泉康二と彼の同期入行の仲間・宝田、大学の後輩にあたる浅野たちが結託して圧力をかけて稟議を突き返させ、資金繰りに困った仙波工藝社が買収話に応じるように仕向ける動きがあった。ここから美術ミステリーを絡めた展開はおもしろい。

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 不可解な美術出版社の買収話の秘密は、今は亡きモダンアート界の寵児・仁科譲の代表的なモチーフ「アルルカンと道化師」が握っていた。過去に仙波工藝社と因縁のある堂島商店で働いていた若き芸術家の卵・仁科譲と佐伯陽彦との間の隠された絵画「アルルカンと道化師」をめぐる悲話がこの経済小説を芸術的に仕上げている。

 また、業務統括部長の宝田が自分の成績のために銀行に不利益となる買収を進めていることを半沢直樹が突き止めて倍返しにすると言う話は変わらない。ちなみに、大和田常務は出てこないし、中野渡頭取もまだ頭取ではない。

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 半沢直樹シリーズの、悪を倒し正義が勝つという結末と爽快感はいつもながら気持ちがいいが、それと同時に絵画をめぐる盗作かどうかの面白さもあった。アルルカンはペテン師で仮面劇の即興喜劇で道化師とともに登場するキャラだそうだ。そして「アルルカンとピエロ」はセザンヌやアンドレ・ドランの作品が有名だそうだ。テレビで楽しんだ歌舞伎役者と半沢との掛け合いほどではないが、楽しめる池井戸作品ではある。

 いつもながらの勧善懲悪型の返す刀の切れ味が心地よい。「理想を語ってばかりでは実績はついてこないかもしれない。ですが、理想のない仕事にろくな現実はない。これがあなたの仕事ぶりを見ての率直な感想です」と颯爽と悪役の宝田に倍返しをした。

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(写真は 本の表紙と過去に旅した北欧の風景)

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